「もう女じゃないくせに、オンナオンナしててキモい」

さて前回に引き続き『ピアニスト』。

音楽学校で教師をする主人公のエリカ先生39歳は、「誰にも負けないピアニストになる気なら、男にうつつを抜かすな!」という母親に育てられ、その真面目さゆえに完璧に「オス化」した女子です。それゆえの様々な行動は、表面的に見れば「ド変態」と呼びたくなるような意味不明ぶりなのですが、中でも多くの人が「ぎゃああああ」と目をそむけるに違いないのは、風呂場で剃刀を自身の局部にあてて流血を引き起こす場面だと思います。

なんの説明もないこの場面、その後に明らかになるエリカ先生の振り切った性癖から、「自慰ではないか?」という人もいますが、私はこれは「疑似生理」ではないかとふんでいます。この映画について書き始めてからとんでもない単語ばっかり書いている気がしますが、疑似射精が始まるまでに「オス化」したエリカ先生は更年期にはまだ早い年齢であるにもかかわらず、おそらく生理が止まっちゃっているのです(ちなみにこれは「早発閉経」といい、肉体的精神的にさまざまなストレスを抱える2030代に実際に起こることです)。

それをこれ以上ない無茶な方法で疑似的に再現することは、知人関係者にはひた隠しにしながらも、彼女が自分の中の「最後の女性性」にすがっている証拠。これは周囲から「もう女じゃないくせに、オンナオンナしてて気持ち悪い」と言われるのを恐れるあまり、自分のセックスや欲望を隠して悶々とするアラフォー女性の、最も痛々しくギリギリな形と言えます。

そんな折も折、10歳以上年下のイケメン、ワルターが現れ、エリカ先生に熱烈に求愛し始めます。これまで「セックス」を諦めることで保ってきたエリカ先生の、壮絶な自己崩壊が始まります。

女子の悶々の、総合デパート

もううすうす感づいている方もいると思いますが、エリカ先生は最近はさほど珍しくないんではないかと言われる「やらず40」、つまり40歳周辺に至るまで性体験がない人です。よく恋に不慣れな大人の女子(時に処女)が、降って沸いたように出てきた年下イケメンに猛烈に求められて、「やだやだどうしよう、私こういうの慣れてなくて困る困る困る~」みたいな妄想ドラマがありますが、『ピアニスト』もある意味ではそうしたドラマのひとつ、と言えなくもありません。

でも実際に起こったとしたら。道端に転がる100円玉を気軽に拾って「私ってラッキー」みたいに無邪気にはいかないんじゃないかなーと思ったりもします。だって仕事という生活の大部分をしめる時間の中で、女子的な甘えを禁じてきた人間が、昨日今日現れた年下の男の子に「気持ちのままに」と言われたって、やすやすと「だよねだよねゴロニャーン」となれるはずがありません。

『ピアニスト』がすごいのは、エリカ先生という女子の悶々の総合デパートたるキャラクターを使って、その"地獄バージョン"を克明に描いていることです。「女ではない」自分へのコンプレックス、そのコンプレックスを周囲に知られたくないプライド、ついつい相手とパワーゲームを演じてしまう行動パターン、その実ねじ伏せられることを望んでいるややこしい精神性。さらに、でも「望む幸せを実現してくれるのは、後にも先にもこの人しかいないかも」というがけっぷち感。でもここで気持ちに流されたら、元の自分には戻れなくなってしまうんじゃないか。

あああ、もうほんとにその悶々は、焦げ付く間際までドロドロに煮詰まっています。だからこそこの人の猛烈な壊れっぷりを、女子たちにこそ見てほしい。他人事として笑いキモ悪がり、そしてちょっと悲しくなれたなら、あなたはきっとまだ大丈夫。

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