「男なら私より強くなって。慰めてほしいのはこっち」

男から「強い」と言われる女子のタイプというのがあります。

パッと見、気が強そうで負けず嫌い、白黒をはっきりつけなければいられない性格で、何かあっても泣いたりしなさそうな感じ。仕事ができて、ビジュアルにも個性や主張があって、やりたいことをはっきりと言う感じ。

例えば私がそんな20代女子を見たら「ずいぶん突っ張ってるなあ」と思うし、「"強がり"か"強いと思われたい子"か"強くなりたい子"なんだろうな」なんてことも考えます。おいおいこんな年上相手にマウンティングかよ、なんてことも実はあったりしますが、オバちゃんにはそれが虚勢であることは丸見えですから、微笑ましいものです。

でもこと男に関していえば、例えば合コンで後片付け("とりわけ"はもう古いらしいけれど、本質は何一つ変わっていません)する女の子を「しっかりもの」、コンサバな服装で「女らしい」と冗談みたいに簡単な記号で情報操作されてしまうわけで、このあたりの機微をほとんど全くと言っていいほど理解しません。

そうして「強い」と判断された女子の中には、ある種の失望のようなものが芽生えます。それは「私をヨシヨシしてくれるような、強い男はいないんだろうか?」ということです。

さて今回のネタは、前回に引き続き『AMY エイミー』。

2011年に27歳で死んだ英国の歌姫エイミー・ワインハウスの生涯を、残された映像と関係者の証言で綴るドキュメンタリーです。エイミー・ワインハウスと言えば、あのビジュアルとあの声、唯一無二の世界観と表現力、そしてゴシップを賑わすお騒がせキャラ……などから、多くの人が「強い女」のイメージを持っているのではないかと思います。でもそれは幻想だったのではないかと思うのは、「実体験しか曲にしない」彼女が、デビュー曲『ストロンガー・ザン・ミー』で、まさにそうした失望をまんま歌詞にしているからです。

作曲中のエイミー・ワインハウス。作曲することが「抗うつ剤がわり」だったとも。pinterest
(C)Nick Shymansky Photo by Nick Shymansky

20代女子にありがちな、好みのタイプは「ぐいぐい引っ張ってくれる人」

そんなエイミーにとって、誰よりも"強い男"とは父親のミチェルだったのではないかと思います。エイミーが9歳の時に家を出たミチェルはジャズシンガーでもあり、エイミーの音楽的素養を作った人。おそらくエイミーが求めてやまない人物であると同時に、20代の文化系女子には「イケメン」よりも「金持ち」よりも作用する「尊敬できる人」なわけで、エイミーがこの人を誰よりも信頼するのは至極自然な流れです。

でも個人的な感想を言うならば、ミチェルは、娘の健康や精神状態よりも娘がマネー・メイキングスターであることを、娘に本当に必要なことよりも娘のわがままを優先し、「ここで別の判断をしていれば…」という誤った独断を何度も繰り返しているように思えます。でもそうした状況に時に苛立ちを覚えながらも、「熱烈に父親を崇拝」するエイミーは彼を強く拒絶することができず、従ってしまいます。

もちろん、制御不能の巨大なビジネスに飲み込まれ、パパラッチに追い立てられまくるというクレイジーな状況で、マドンナやレディ・ガガのように自ら主導権をとるなんて誰にでもできる芸当ではありません。普通の生活を送る私たちだって、様々なことが押し寄せてきてとっ散らかった時に、「俺に任せとけ!」と言ってくれる男がいたら、その人にポワワーンとなってしまいかねないし、恋人や父親に頼ってしまうのも当然といえば当然です。

そして実のところ、こういうタイプに最も弱いのは「強い女」と言われがちな女子です。ほとんどの男が及び腰なのに、この人は私を恐れない。私をぐいぐいと引っ張ってくれる数少ない男。てか「強がらないでいい」とか初めて言われて、腰砕けになっちゃったんですけど。何も考えずこの人に身を任せてしまばいい気がする。有名人で信頼できる相手が少ない人ならなおのこと、数少ないそうした存在を100%信頼してしまうでしょう。

でもこれ本当に基本的な話ですけれど、大事なのは「ぐいぐい引っ張ってくれること」よりも、「どこに引っ張っていってくれるのか」なんですね。たどり着いた場所が「相手が望む場所」であって「自分が望む場所」でないならば、それは「支配」でしかありません。

でも何が一番悶々とするかといえば、若い女子たちの多くがそうした「支配」を、「保護」という言い換えにより、喜びとしてとらえていることです。

一見して全くの別人にみえる、エイミー・ワインハウスと、【悶々25】【悶々26】の『ラブレース』の主人公リンダは、その点でほとんど変わりません。戯言レベルなら「お前は俺のもの」と言われても楽しいけれど、本当にすべてを任せてきってしまったふたりが行き着いた先は、程度の差こそあれ、必ずしも他人事ではない―――と、若い女子は思ってくれるかなあ。

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