俺色に染まる、真っ白いキャンバスの君

この間まで「丸の内のデキる女風」だったのに、久々に会ったらなぜか「ニューヨークのパンクロッカー風」で、あらあら、と思っているうちに、「香港の金持ちマダム風」になってる――みたいな女子を見ると、コスプレ世界一周すごろくかしら、自分探しにハマり中かしら、己を変えるためまずは形からみたいな自己啓発系かしらと、いろいろと想像をめぐらしてしまうのですが、なんのこたない、男が変わっただけだったりします。

男が変わるたびに別人になってしまうこういう女子、結構いると思います。言われたことないんでわかりませんが、「君は真っ白いキャンバス、俺色に染める」とかなんとか言われてしまうんでしょうか。文字にしただけで盛大に噴きましたが、なにしろ恋愛とは酩酊状態のことですから、こうしたものにキュンとして「あなた色に染まるのが私の喜び」的展開になってしまうのかもしれません。もちろんぜんぜん否定しません。恋愛に限らず一番楽しいのは「踊る阿呆」ですし、私は常に「踊る阿呆」を肯定する「見る阿呆」でありたい。とはいえ周囲が全然見えなくなるほど踊り狂っちゃう人には、なんであれちょっと危険なものを感じます。

これまでの「見る阿呆」経験から導き出した危険なタイプ、それはやっぱり「真面目」と言われ続けた優等生や、厳しい家庭で「いい子」として育ってきた人です。私は恋愛によって以前とは違う自分になった――そんな実感は快感となり、自分が殻を破るきっかけを作ってくれた男への強大な信頼感を形成してゆきます。もし今まさにそんなことを経験し、そんな風に思っている女子がいたとしたら、私は言いたい。

あなた、全然変わってませんよ。殻を壊して自由になったわけじゃなく、別の殻を見つけただけです。

アマンダ・サイフリッドがいじめられてる!pinterest
Photographer name に Visual Press Agency//Aflo

支配から支配へと渡り歩く女

さて今回のネタも、前回に引き続き『ラブレース』。ヒロインは70年代の伝説のポルノ映画『ディープスロート』への出演で大スターになったリンダ。彼女が出会ったばかりのチャック・トレイナーと結婚したのは、支配的な母親から逃れるためでもありました。当初、リンダにおける「母親が否定する部分」を全肯定してくれたチャックを、彼女が「自分を救い出してくれる王子様」のように感じてしまったのは無理からぬことです。その信頼感からか、リンダは今度はチャックの支配下に自ら入ってしまいます。ファッションも髪型もチャックの完コピになり、言いつけ通りに禁煙、小遣い稼ぎの売春を強いられ、嫌だといえば暴力を振るわれ、〇ェラ〇オを「練習しろ」と仕込まれ、それをビデオに撮られ、ポルノ女優として売り出され――とまあ女性虐待のフルコースを味わうことになります。

もちろん逃亡も試みます。でもその先が母親の元――以前の支配者のもとだというところに、彼女の呪縛の根深さを感じます。これが普通の母親であればそれで正しいのでしょうが、リンダの母親はガチガチのカトリックで、ティーンエイジャーで妊娠した娘を「ふしだらな女」と呼び、堕胎を許さず、周囲に知られることを恐れて引っ越しまでした母親で、「夫に従うこと」を道徳としたカトリックの「神聖な結婚生活」から逃げてきた娘を、「周囲に何を言われるかわからない」のに、かばってくれるはずがありません。

でも私が最も驚いたのはチャックから生き延びて6年後、出版した自伝が話題になって出演したテレビ番組での、リンダのこのセリフです。

「こんな虐待を、神様がお許しになるはずがありません」。

キリスト教の世界では何の抵抗もないのかもしれません。「夫に従え」と言ったのも「離婚は許さない」と言ったのも「ふしだらな女」と言ったのも、すべてキリスト教だったのに。リンダがみたび、「新たな殻」に入り込んでしまった。何かに盲目的に従うことで得るその奇妙な平穏に、私は悶々としてしまうのでした。

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