物欲しげな様子が周囲をうんざりさせる「イタい女」

さて前回に引き続き『ヤング≒アダルト』。

仕事もプライベートもいまひとつパッとしないメイヴィス37歳は、「学園の女王」だった高校時代の栄光(とその象徴である高校一のイケメンだった元カレ)を取り戻すべく、久々に故郷の田舎町に帰ります。そして胸元がバックリ開いたボディラインそのまんまのピッチピチミニドレスで、1718年ぶりに再会したばかりの田舎の素朴なオッさんになった元恋人相手に、女子高生さながらの分かりやすいセクシービームを発散しつづけます。これをイタいと言わずして何をイタいというのか、と思うようなとてつもない惨劇です。

この「イタい」という言葉、実のところあんまり好きじゃありません。そもそもはおそらく「痛々しい」からの派生で、私個人は「気の毒」「可哀想」で「見てるのが辛い」という意味合いで使ってきたのですが、最近は「無様」「みっともない」で「見ていていられない」的な上からの嘲り感が強くなっている気がして。でもSNSなどを見ていると本当に「イタい」としか言いようのない人がいるのも事実で、嘲りたいわけではないのですが、「気の毒じゃないけど、見てるのが辛い」という感情がどうにもわき起こってしまい、己のダブルスタンダードぶりに悶々としてしまいます。

そういう人たちに誰もが感じる居心地の悪さっていったい何?と考えてみると、強すぎる「承認欲求」が臭うからじゃないかと思うんですね。「承認欲求」とは読んで字のごとし、「誰かに認めてもらいたい」という気持ちのことです。

例えば「どうせ私なんかダメな人間」って言う人は「ダメじゃない」と慰められたいし、「気分を変えたくて、ショートカットにしてみました!」とSNSにセルフィー上げる人は「可愛い!」と褒められたいし、「土曜はどんなに疲れていても早起きして散歩して、朝食は途中にあるサードウェーブ系カフェでとるんだよね」と聞いてもいないのにアピールしてくる人は「さすが意識高い系~!」と言われたい、みたいなことです。まあたまになら、そこは人間だもの、お互い様で慰め、褒め合い、支え合うのが大人というものです。

でもこれが何度も続くと、反応するのがちょっと疲れてきますね。「どうせ私なんかダメな人間……」の尻尾に着いた「……」のところに漂う物欲しげな感じが面倒くさく、中には「絶対言ってやるもんか」と思う人も出てくるでしょう。何よりも誰かに「ダメじゃない」と言ってもらわないといられず、そこらじゅうで「私ってダメ」「私ってダメ」と言いまくる様子がすごくみっともなく見えてきて――「イタい」人が完成します。

犬とキティに慰められるイタい大人女子を演じるシャーリーズ様pinterest
Everett Collection//Aflo

他人が何と言おうとも、私は「私」を生きてゆく

さて話を『ヤング≒アダルト』に戻して。

「イタい女」メイヴィスは「女王様(特別な人間)」の承認として、周囲が「女王様扱い」してくれることを求めています。でも田舎町で暮らす40歳目前の同級生たちに彼女のセクシービームはまったく効果がなく、返ってくるのは「いまだにそんな感じなんだ……」という微妙な空気だけ。見ているこっちは、イタタタタタ、となるわけですが、ふと思います。あれ、メイヴィスの望みはどっちだったっけ? 「女王であること」だっけ、「女王様扱いしてもらうこと」だっけ?

もし「女王様扱いしてもらうこと」だとしたら、それは完全なる負け戦です。彼女が女王様として振舞えば振舞うほど、周囲は「面倒くさい」「絶対女王様扱いしてやらない」「無様」と思うわけですから。

ところがこの映画、イタいまんまでは終わりません。特別な人間であることを諦めきれない、それが自分の不幸かもしれない、みんなのようにショボイ幸せで満足することが、「大人になる」ということなのかもしれない――そう考え始めた矢先のメイヴィスに、突然の開き直りがやってきます。彼女が「ヒエラルキーの頂点としての女王様」でなく「孤高の女王様」になった瞬間、とでも言いましょうか。

とはいえ、他人の「承認」が欲しくて欲しくて全身傷だらけになった末に選んだ道は、実のところたいして楽な道ではありません。メイヴィスは、自分の価値を決めるのは他人の「承認」ではなく、自分自身なのだと悟っただけ。それまで目を背けてきた自分の「イタさ」を、せめて自分だけは許してやろうと決めただけです。周囲はこれまで通り、メイヴィスのことを「イタい」と言うかもしれません。それでも私は私を生きるだけ。その勇気と孤独は、ちょっとカッコいいような気もするのです。

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