子供ナシの夫婦に「作らないの?」と、平気で聞く人たち

ほんの2~3年前、ある人気女性作家にインタビューした時のこと。彼女は恋愛から結婚、妊娠までの女性の性のいたたまれなさをコンスタントに書いている人で、特にベストセラーとなったそのデビュー作は痛々しくも真摯そのもの、多くの女子が胸締め付けられて「分かります分かります分かります」と言いながら号泣したであろう作品です。ところが。「"欲求不満の40女が書いた妄想"ってさんざん言われたんですよ」彼女の口からこんな言葉が飛び出し、私はものすごく仰天しました。前回の「女が、なぜか決して許してもらえないこと」じゃないですが、女性は作家ですらセックスを語ると下らない悪口を言われる。そんな社会に悶々とします。

であるにもかかわらず、これが一変してしまう状況、もっと言えば「人々が当たり前のように、他の女性のセックスを話題にする」というシチュエーションがあります。それが結婚したけど子供のいない女性に対する「子作りはどうなの」攻撃。両親が「子作りに励んでる?」と言い、友達とか会社の同僚が「子供作らないの?」と聞いてくる、あれです。

これがもし「旦那さんと上手くいってるの?」なら、「気持ち的にもセックス的にもYES」「気持ち的にはYESだがセックスレス」「気持ち的にはNOだがセックス的にはYES」「気持ち的にもセックス的にも惰性でYES」などの範囲内でふわっと「YES」と答えることができます。でも「子作りは?」でYESの場合、「セックスしてます」以外の答えはありえず、聞かれる側にはそこはかとなく「土足で踏み込まれた感じ」がありますが、にもかかわらず聞く側の妙に無邪気な祝祭感を無下にするのもままならず、もごもご言いながら苦笑するしかない、みたいな状況に陥ります。

「ルーム」の外に出た途端、マスコミにもみくちゃにされる母ジョイと息子ジャックpinterest

「正しくないセックス」で産んだ女子に、罪はあるのか

そういう時の聞く側の無邪気さはどこから来るのか。それは「結婚」という制度内での「子作り」という明確な目的がある、女性にとって(もしくは社会にとって)「正しいセックス」だからです。これはひとつでも欠ければ成り立ちません。未婚の娘に「子作り目的ならセックスOK」と明るく許可する親はいないし、結婚の理由が「性の快楽に溺れるため」と明言したら両親は腰ぬかします。逆を言えば、女性にとってそれ以外の「セックス一般」は、どこか不謹慎で正しくなく、ある一定の人にとっては不潔で反社会的で、忌むべきものですらあります。100歩譲ってあったとしても、大っぴらにすることじゃない。作家であっても、そこに触れれば叩かれてしまいます。

さてここまでは、今回ご紹介する映画、アカデミー賞主演女優賞を獲得した『ルーム』の長い前置き。主人公は17歳で拉致され、小さな部屋「ルーム 」に7年間監禁された少女ジョイです。物語は彼女が監禁2年目で産み落とし、「ルーム」から一歩も出たことのない息子ジャックとの愛情を描いています。ジャックが産まれてから5年、決死の脱出計画の末にふたりはようやく救出されるのですが、幸せなはずの外の世界には、ジャックを「忌まわしい存在」として認められない人もいます。

結婚という制度の中にもない、子作り目的でもない、もっといえば母親本人も望んでいない、ジャックは究極的に「正しくないセックス」が具現化したものです。確かにこのシチュエーションはかなり特殊だし、犯罪そのものはこの地上で最も憎むべき最低最悪のものだけれど、現実にもある母親の選択や産まれた子供に、そうした「正しくなさ」を差別として背負わせるのか。それともそこから切り離すべきなのか。映画を見た女子たちは、さて、どんなことを思うのでしょうか。

(C)Element Pictures/Room Productions Inc/Channel Four Television Corporation 2015

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