芸能一家に生まれ、自らも12歳で芝居をはじめたトランスジェンダー女優のアレクシス・アークエットが47歳という若さでこの世を去った。死因はまだ明らかにされていないが、長年病気を患っていたようだ。

映画『パルプ・フィクション』『ウェディング・シンガー』、『チャイルド・プレイ/チャッキーの花嫁 』に出演し、ドラマ『フレンズ』でもドラッグクイーンとしてゲスト出演した経験があるアレクシス。2006年には女性となり、2007年に自身のドキュメンタリー映画『Alexis Arquette: She's My Brother』が公開されたアレクシス。当時はまだトランスジェンダーへの理解が浅かったため、ジェンダーに関わる様々な問題を議論するきっかけになったと言われている。

父は俳優のルイス。兄にリッチモンド、姉にパトリシア、ロザンナ、弟にデヴィッドを持ち、兄弟姉妹も全員俳優という一家で育ったアレクシス。芸能一家として家族の絆も強く、イベントなどでは仲睦まじい姿が幾度もキャッチされていた。

アークエット一家
Getty Images

左からデヴィッド、ロザンナ、アレクシス、リッチモンド、パトリシア。家族や兄弟は、トランスジェンダーを貫くアレクシスの生き方に理解が深く、彼女らしさを受け入れていた。

彼女の逝去を受けて、多くの追悼文が寄せられた。

▼まずは、兄のリッチモンドが個人で寄せたメッセージを。

facebookView full post on Facebook

後に、弟アレクシス、そして妹アレクシスへと変貌を遂げた私たちの弟ロバートは、911日、午前1232分にこの世を去りました。亡くなる瞬間は、彼の全兄弟、姪やその他彼を愛した数名に囲まれていました。 私は彼/彼女と共に人生を経験できたこと、アレクシスから様々なことを学べたこと、彼/彼女を愛し愛されたことに大いに感謝しています。彼は力強い人間でした。 彼が新たな旅を始めたその瞬間を共にできたことを光栄に、そしてありがたく思っています。アレクシス、ありがとう。これからもずっとあなたを愛し続けます。

▼そしてパトリシアが家族を代表し、フェイスブックに投稿した追悼文がこちら

「私たちの妹であるアレクシス・アークエットが、今朝亡くなりました。彼女は画家として、歌手として、エンターテイナーとして、そして女優としても素晴らしい才能を発揮してきました。 しかし、たとえトランスジェンダーの役だったとしても、それが固定観念にとらわれた役どころだった場合には出演を拒むこともありました。すべてのトランスジェンダーの人々を理解し受け入れられる社会のために戦い続けたのです。 私たちは、彼女が女性として生きていく様を通して"真の勇敢さ"を学びました。そしてたったひとつの真実に辿り着いたんです。「愛がすべて」だと。 彼女は、愛に包まれて亡くなっていきました。その瞬間を迎える時、私たちは彼女が新たな世界へのベールを越えていけるように、デヴィッド・ボウイの「スターマン」を歌っていました。薔薇の花びらで彼女のカラダを清め、美しい花々で囲みました。 思えばアレクシスは、(家族の中で)何事も最初に行動するタイプでした。私たちにはまだ心の準備ができていなくとも…。もう私たちの傍に彼女はいないという事実に胸を痛めつつも、アレクシスのおかげで、困難に直面しようとも家族がひとつになって互いを労り、かけがえのない時間を過ごせたことに感謝しています。(中略)私たちは、幸せ者です。

▼アレクシスが『ウェディング・シンガー』の役作りで影響を受けたといわれている「カルチャークラブ」のボーカル、ボーイ・ジョージ。

これはxの内容です。詳細はそちらでご確認いただけます。

安らかに眠ってください、私の妹アレクシス・アークエット。眩い光がまた早くに消えてしまった。アレクシスの家族や、彼女を愛したみんなへ愛を。

2002年公開の映画『The Trip(原題)』で共演した俳優ラリー・サリバン。

撮影中、毎日笑わせてくれたアレクシス。怖れなく生きていました。あなたの生き様を一生忘れません。あなたは美しい。

どのメッセージからも、いかにアレクシスが家族や友人を愛し愛されたのかがひしひしと感じるられる。LGBTがまだ現在のように一般的に受け入れられていなかった頃から女優として活躍したアレクシス。たとえ困難な道だとしても自らの信念のもとに歩み続けた彼女の人生は美しい。