18世紀のロシアの女帝、エカテリーナ2世(以下:エカテリーナ)は、西洋史でも数少ない「大帝」と呼ばれる人物。女性では唯一くらいかもしれません。

実はこの人、ロシアの血が一滴も入っていない生粋のドイツ人です。跡継ぎ不足に苦慮するロシア王家は、次期皇帝としてドイツに嫁いだ王女の息子ピョートル3世に白羽の矢を立てました。エカテリーナはその嫁です。「スウェーデン王家」と「ロシア王家」の血を引くピョートル3世を幼い頃から狙っていて、見事にゲットしたんですね。ところがこの夫が、果てしなくボンクラで子どもっぽく、皇帝になる器量も意欲もありませんでした。

「私は結婚で幸福になるため、はるばる旅をしてきたのではない。政治という仕事、ロシア帝国に君臨するために嫁いだのだ」

というわけで、そもそもすごいインテリだった彼女は、さらにロシアの社会と宗教を学び身も心もロシア人に。そして夫が皇帝になった翌年にクーデターを起こし、32歳で女帝になります。

悩ましいのは捕らえた夫の処遇ですが、彼女が「どうしようかしら…」と迷ってるうちに、あらやだ、クーデターを主導した軍人クリゴリー・オルロフが殺しちゃったんですね。この妙な「保留力」といいうか「優柔不断さ」が、この人の素晴らしくワルいところ。

どんな時も先にしびれを切らすのは周囲の男たちなのですが、けしかけられても「時期尚早です。それにもし実行するなら…」とやんわりアドバイスし、でも計画を止めもしない。後に非難されるようなことには己の手を汚さず、でも神輿に乗るタイミングは絶対に逃がしません。

男たちが担ぐ理由は、大前提としてこの人が非常に優秀だったから。そしてめちゃめちゃモテる人だったからです。その67年の生涯で、知られている愛人の数はなんと12人。やるな~。

ロシアの女帝は、決して"誰のもの"にもならない

さてロシアの女帝に関してビックリすることは、その愛人は「寵臣(ちょうしん)」という公式の地位があり、女帝の部屋に直結する部屋を与えられていることです。皇太子妃時代から借金してまでプレゼントしまくる気前の良さで知られる彼女は、この寵臣にお金やら土地やら名誉やら地位やらを与えまくり。当然ながらイケメンなだけのアホな寵臣は「女帝は俺にゾッコンなんだぜ」とつけあがり始めるんですね~。彼女の真のモテぶりは、そういう時に、それ以外の男たちに「バカ男を甘やかしたバカ女」と愛想を尽かされたりしないこと。

例えば。クーデターの主導を経て最初の寵臣(愛人としては3人目)となったグレゴリー・オルロフは、女帝になっても結婚してくれないエカテリーナに業を煮やし、重臣たちの面前でこんなふうに女帝を蔑みます。

「俺が女帝にしてやったんだから、引きずり下ろすのも簡単」

これに答えたのは、彼女の重臣のひとり(そして皇太子妃時代から彼女に惚れていた)キリル・ラズモフスキー。

「そうなんだろうね。でもその前に、俺たちがお前を絞首刑にするからさ」

ここにあるオルロフの苛立ちと、ラズモフスキーの信頼は、エカテリーナに関する揺るぎないある事実の表裏のように思えます。その事実とは、彼女が最も芯のところで「惚れた男に盲目的に肩入れする女である前に、公正で尊敬に値する女帝であること」。彼女が「"誰かのもの"のように見えても、絶対に"誰かのもの"にはならない」ことを、ふたりが別の方向から理解しているんですね。

Painting, Art, Cg artwork, Costume design, Monarch, Still life, Victorian fashion,
Getty Images

ズルくて諦めの悪いキャリア女子の「これも愛だし、あれも愛」

驚くべきことは、こうした状態になってから9年間も、オルロフが寵臣であり続けたことです。エカテリーナが関係を諦めきれず、恩人オルロフに報いることのできない自分に罪悪感を覚えていた――ことも嘘ではないでしょう。でも飼い殺しにされたオルロフが暴発するのを―ー周囲が(そしてオルロフ自身が)「切り捨てられても仕方ない」と思う時がくるのを―ー待っていた、という見方もできなくはありません。ズルさと優しさ、諦めの悪さと粘り強さ。それらが入り混じった、すごーく複雑なしたたかさを持った人なんですね。

そうしたキャラクターに対抗できた(それゆえに対等な関係を築けた)唯一の存在は5人目の愛人、彼女の治世で中心的役割を担った政治家ポチョムキンのみ。イケメンじゃないけれど知性と才能にあふれ、性格的にはサービス精神あふれるトリックスターであるこの男に女帝はメロメロでしたが、ポチョ氏からは「お前は俺を全然愛してない」と責められまくり、こんな感じで懇願しっぱなし。

「私にだって優しい言葉を受け取る権利がある」

「あなたは喧嘩腰でしたね。どうぞその気分が過ぎ去ったらお知らせください」

「お手紙を拝読いたしました…お願いです。正気を取り戻してください」

まるでパワーゲームのような関係に疲れ果てた二人は、互いに心癒す愛人を持つことで合意します。女帝は政治アドバイザーとしてのポチョ氏を、ポチョ氏は出世の後ろ盾としての女帝を必要としていて、互いが互いに屈服することなく続けられる関係をどうにかこうにかひねり出したのです。男女である前に政治家という似た者同士の共犯者は、互いのズルさを許し合うことに愛を見出したともいえます。

エカテリーナの凄さは、そんなズルさにまみれたリアリストでありながら、「STAP細胞はありまぁす!」的に「純粋な愛はありまぁす!」と言い続けたロマンチストだったこと。

飽きもせずに若いイケメンたちに一目惚れし欲情し、欲情だけじゃ長続きしないことを知り、男がやっぱりお金と権力目当てだったことを知れば「私は誰かの暴君であったことはない」と涙ながらに彼らを解放し――時には、掛値なしの「真実の愛」と思えるものにも出合っています。

「愛がなければ一日たりとも生きていけない」

恐るべき諦めの悪さによって67歳で死ぬまで続いたその遍歴は、生涯をかけて学んだ、愛の授業のようにも思えます。



(参考文献)

『エカチェリーナ大帝 ある女の肖像』 ロバート・K・マッシー

『異国へ嫁した姫君たち ヨーロッパ王室裏面史』 マイケル・ケント公妃マリー・クリスチーヌ

『恋と美の狩人 エカテリーナ』 南川三治郎

『影の男たち 女帝が愛した男たちⅡ』 テア・ライトナー