エバ・ペロン―ーというよりも「エビータ」と呼ぶ方が通りがいいかもしれません。そう、ミュージカルからマドンナ主演で映画になった「エビータ」、その本名はエバ・ドゥアルテ・ペロン。1940年代の好景気に沸いたアルゼンチンで国民の絶大な人気を誇り、政権がそろそろヤバい…というところでコロッと死んでしまった、伝説のファーストレディです。

今回は、貧しき民衆のために大々的な"社会奉仕"を行い、"聖女"と慕われた彼女の言葉から。

「私は毎日の仕事から、この人生で働きすぎた人たちのために、何かしてあげなければならないことがわかってきました。歳月に身体は折れ曲がり、無関心という名の扉をたたくにも疲れ、私の方に向かってくるのが見えたのです」

マザー・テレサかと思いますね、感動的です。ところがその一方で、彼女を取材した『ニューヨーク・タイムズ』のアルゼンチン特派員ミルトン・ブラッカーは、彼女を評してこんな風に言っています。

「信じられないほどユーモアを欠き、驚くほどに精力にあふれ、執念深く恨みを抱き続ける、そして、忘れるとか許すとかいうことの絶対にできない女性」

あらっ? さっきのとはずいぶん違う感じですが、この二面性がエビータの面白さ。"聖女"と称えられる一方で、彼女の逆鱗に触れて粛清され、国外に逃れた人は山のようにいるんですね。

こうした毀誉褒貶を理解するには、彼女が生きた19301940年代のアルゼンチンで一般的だった「ふたつのこと」を語らねばなりません。

ひとつは強烈な貧富の差。国の富は数パーセントの上流階級が独占し、下層階級は搾取されて当たり前という中世ヨーロッパみたいな社会構造が、アルゼンチンではこの時代にも普通に残っていました。そしてもうひとつは強烈な男性社会。女はおおよそ「妻」「娘」と「娼婦」に大別され、「男の持ち物」か「快楽のために使うもの」でしかありませんでした。都会で一人暮らしの女なんて「男が慰み者にしていい存在」とみなされて当たり前だったとか。エバならずとも、マジあほかふざけんなって話ですね。

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あなたの愛国精神がいかほどか、現ナマで示してほしいのよ。

そんな時代に、ド田舎の成金の愛人で、ド貧乏な母のもと、私生児として生まれた"三重苦"の娘エバは、「アルゼンチン一の女優になる」という野望を胸に、24歳で首都ブエノスアイレスへ。食うや食わずの時代を経て、男を次々と乗り換えながらビッグになってゆき、将来有望な陸軍将校フアン・ペロンへとたどり着きます。そして政治混乱の中、クーデターによって軍部が権力を握ると、お坊ちゃん育ちのペロンを尻を叩いて仕切りまくり、政敵をじゃんじゃん排除して大統領へと押し上げてゆきます。

この時、ペロンの支持層としてエバが目を付けたのが、これまで政治に見捨てられ続けてきた「下層階級」と「女性」。めでたく結婚しファーストレディとなったエバは、ペロンの名のもとに「彼らの生活を向上させる」という公約を次々と実現させてゆきます。労働者の賃上げ交渉は満額どころか150%回答で答え、「貧しい」と陳情に来る人にはじゃんじゃん現ナマを渡し、食べ物から家(!)まで支給。オラが町にエバがこようものなら、みんなが自分の住所と名前を書いた紙を彼女に向って投げまくり。というのも、エバに拾い上げられた人には後から大プレゼントの連絡が! という「それ宝くじか!」というようなことまでやってるんですね。

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ここまで聞くと、どんなに政治経済に疎い人でも「そんな金がどこから…?」と気になってきますよね~。この財源を作るため、エバは上流階級から金をじゃんじゃん脅し取ったんです。ここで国家的カツアゲエピソードを。

その1。ロンドン五輪マラソン競技で優勝した自国選手の凱旋に、家を与え、町一番の家具商人に家具を備えさせたエバ。その後、エバは「愛国精神を見せろ」とその請求書を破り捨てさせました。

その2。大手製菓会社に「十万箱のキャラメルをタダでよこせ」と要求。拒絶されたエバは工場に衛生状態チェックの検査官を派遣し、キャラメルへのネズミの毛の混入を発見(彼女所有の新聞社が大々的に報道)。課せられた重い罰金は、判事の裁量でエビータの援助基金へ。

言うまでもありませんが、自分の服とか宝石を山ほど買い、スイス銀行に不正蓄財とかもしています。いや~、すがすがしいほど悪い。

罪を認めて勝つ方が、栄光の敗北よりマシ

でもこの人をひとくくりに「悪人」と言いきれないのは、その不思議な複雑さゆえです。

国内の病院は倍増、スラム街や田舎町の無数の診療所、看護学校、未婚の母の家、老人ホームが次々と作られ、女性参政権が実現し…ペロン政権の功績の多くが、"三重苦"のエバだから知りえた苦境にある人たちのためのもの。下層の人々が「強盗でも悪人でもペロン夫妻がいい」と言ったのは、それまで誰一人として彼らの苦境に目を向けてくれる人がいなかったからです。

収支も決済もない彼女のやり方は、確かにめちゃくちゃ。でも搾取で築いた支配階級という"毒"を、彼女はそれ以上の毒で制しただけ。変な話、学と地位としがらみがある人では、ここまで強引なことはできなかったに違いありません。

当然ながら支配階級は、女性は「卑しい愛人のくせに」、男性は「女のくせに」と総スカン。でも一部の心ある人たちはこんな風にも言ったとか。

「もしわれわれが労働者のために、エビータのやったことのほんの一部でもやっていたら、今のペロンはなかっただろうし、彼女も大根役者にとどまっていただろう」



(参考文献)

『エビータ』ジョン・バーンズ

『エビータ』 アラン・パーカー監督

『エビータ 写真が語るその生涯』 M・サンチェス