1926年、ニューヨークの路上で、ある19歳の女の子が車にひかれそうになったところを見知らぬ男に助けられます。このなんつうことのない出来事が「事件」として記録されるのは、助けた男が当時の雑誌出版界で頂点にのし上がったばかりのコンデ・ナストで、助けられた女子がリー・ミラーだったから。

これをきっかけに「ヴォーグ」誌のトップモデルとなった彼女は、気鋭の芸術家マン・レイの弟子兼恋人から、ファッションとアートの売れっ子写真家へ、さらにエジプト人の大富豪夫人時代を経て戦場カメラマンに…という、どこをどうしたらそうなるのかさっぱりわからない感じでその人生を展開させてゆくのですが――それはさておき。まずはその美しさについて。当時のヴォーグで最もイケイケだったファッション写真家セシル・ビートンの言葉を借りてみましょう。

「その唇の描く曲線の美しさ、切れ長の物憂げな明るい瞳、円柱状の首は、彫刻にでもしなければ表しようがないだろう」

さてその一方で、リー・ミラーご本人は、当時を振り返ってこんなこと言ってます。

「私はかわいかった。ほんとにかわいかった。天使みたいだった。中身は悪魔だったけど」

わーお!

才能ある男たちを魅了した、破天荒すぎる「美女で野獣」

さてその破天荒な「悪姫」エピソードを見てみましょう。

「ヴォーグ」誌のトップモデルとなった1928年、彼女の写真が生理用ナプキンの広告に無断で使われます。生理用品の広告は女子共感のバロメーター、今でこそモデルや女優に人気だと聞きますが、当時の世の中は「女性がこんな広告に写真を使わせるなんてもってのほか」という認識だったわけです。リーも当然ながら頭に来たわけですが、代理店と肖像権の委任契約を交わしていたために文句が言えなかった。ところが。気取った連中がこの広告を見て慌て慄く状況が、リーには面白く思えてきちゃうんですね。ワルですね~。

一方、エジプトの社交界ではこんな騒動も起こしています。以前から「世界的な画家が彼女をモデルに描いた」と噂だった絵がお披露目されたのですが、それがピカソのものだったために会場がザワつきます。やがて「あんなの俺だって描ける」と言い出した多くの客に、リーは「じゃあやってみれば?」と絵の具、絵筆、キャンバスを差し出します。この展開を見越して、なんと控室に用意していたんですね~。煌びやかなイブニングドレスは絵具まみれ。ワルすぎますね~。

また別の時は、セックスの相手の女を縛り上げて暴力をふるうと噂のある男を、友人二人と共に計画的に誘惑し、逆にボコボコにしたことも。この男が、彼女の友人女性をボコボコにしたと知り、その復讐を決行したのです。痛快なまでに極悪です~。

この常識破り、この強気、この直截さ、この悪ふざけ、この正義感。絶世の美女でエレガントで奔放で荒くれ。「こんな人が実際にいたら面白いな~」って思ったらマジでいた、みたいな女子なんですね。

「ガラスの靴」なんて、べつに履けなくてもかまわない

さてここで写真家としての彼女について語る、1940年代当時の英国のコンデナスト社重役、ハリー・ヨクソールの言葉を引用しましょう。

「彼女をおいて誰がGIについての名文をものした筆でピカソを活写しえようか。彼女をおいて誰が、サン・マロ(英仏国境の要塞)の死からファッションサロンの再生にかけつけられようか。彼女を置いて誰が、ジーグフリートライン(独仏境界の要塞線)に現れた翌週に最新のヒップラインを取材できようか」

戦場カメラマンという言葉が強すぎるので、それ以外のジャンルが霞みがちですが、フォトアートにおける「ソラリゼーション」と呼ばれる技術の開発や、当時はスタジオ撮影が当たり前だったファッション撮影にシューティングのロケを用いたことなど、その実績は素晴らしいもの。

でもなんでそんな人物が、後世に写真家としてそれほど知られていないんでしょうか。

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リー・ミラーが撮影を手がけた、1940年10月26日発売の雑誌『ヴォーグ』。

写真家として売れっ子となった瞬間に、あっさりと写真をやめて結婚したこと、戦争の翌年に写真家として燃え尽きてしまったこと、晩年に作品の貸し出しを求められても固辞し「戦災で全部失くした」と答えていたこと、その人生を通じて個展は1度、写真集もほとんど出していないこと――それらを考えると、彼女は写真家としての自分、もっと言えば写真家としての名声に、さほどの執着がなかったんじゃないかな~と思ったりもします。

じゃあ何を求めていたのか。それは一見バラバラに思えるすべての仕事に共通すること――「形式主義」の否定と、「新しいこと」への挑戦です。実は彼女、写真家を辞めた後も、料理やら農作業やら様々なことにハマり、とことん追求しています。欲しいのは自分がすべてを注ぎ込めるものなんですね。

ちなみにようやく結婚に落ち着いたのは1947年。相手は10年前に出会った芸術家ローランド・ペンローズ。当時としては自由でリベラルな男性だったようですが、罪悪感なく浮気しまくり、仕事となれば恋人そっちのけ、さらに戦場でかつての美貌を完全に失ったリーを、よくここまで待ったものです。でもそんな物はどうでもいいと思えるほど唯一無二の魅力が、彼女にはあるのかもしれません。自分をつなぎとめようとする男たちに、リーは常にこんな風に言ったんだとか。

「わたしはシンデレラじゃない。ガラスの靴に足を合わせることなんかできない」



(参考文献)

『リー・ミラー 自分を愛したヴィーナス』 アントニー・ペンローズ

『リー・ミラー写真集 いのちのポートレート』