ファッション界で活躍するランウェイモデルの中でも、今最も勢いのあるひとりとしてデザイナーからも注目される、タイ出身のミミ・タオ。スレンダーボディでニューヨーク、シンガポール、タイのキャットウォークをさっそうと歩く彼女は、なんと元男性でお坊さん!  そこから一転し、別世界で活躍するようになったミミの人生とは?

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男の子として生まれたミミは、家庭の経済トラブルが原因で11歳の時、仏教の寺院学校へ送られることに。オーストラリアの公共放送局<SBS>によると、その後6年間、お坊さんとしてサフラン色の僧衣をまとい、早朝に起床し、静かに話し、瞑想の修行をし、200以上の戒律の中で生活を送っていたそう。

そして寺院で過ごすうち、自身のアイデンティティについて疑問を持ち始めたのだという。当時のことについて<Bangkok Post誌>にこのように告白。

女の子みたいに行動し始めて、話し方も女の子風になって、メイクアップなんかにもどんどん興味を持ち始めたの。隠れて女装したり、メイクしたり…当時出来たことといえば、ベイビーパウダーをつけたり、眉毛を描いたり、口紅をつけるくらいだけどね。

「僧衣をアレンジして、ファッションショーもやっていた」と語るミミ。ある日、学校でつるんでいたうちの男の子が避妊薬を持ってきたのをきっかけに、もっと女性らしい見た目になりたくて、自身も飲み始めたのだそう。

そして 6年間をお寺で過ごしたのち、母親の借金を清算するため"お坊さん"という身分を捨てることを決意

数カ月間キャバレーで仕事をこなしていた彼女は、タイ出身の国際的スーパーモデル、ロジャナー・ユイ・ペッカンハーにインスパイアされ、モデルになる夢を追いかけることに。

当時ミミが憧れていたスーパーモデル、ユイと一緒に

ユイは、ミミのモデルにかける情熱を認め、ウォーキングやポージングのスキル、仕事の取り方や、撮影でのベストなライトの当たり方などを伝授。

いよいよタイでモデルを始めようとしたものの、元が"男性"である彼女は、エージェントから「性別」が原因で背を向けられてしまったのだという。

そんな彼女に転機が訪れたのは、シンガポールでモデルの仕事をしていた時。ニューヨーク・ファッションウィークのオーディションを受けたミミは、性別とは無関係に、大舞台へのチケットをゲット! その時の心境について、ミミはこのようにコメント。

性別について、誰にも聞かれなかったの。オーディションで審査されたのは、背の高さと洋服のサイズ、そしてウォーキングだけ。タイとは全然違ったわ。だって私の性別を理由に、ポートフォリオすら見てくれなかったんだから。

現在は、ランジェリーのキャンペーンからハイエンドのファッションショーまで活躍するモデルに成長したミミ。

そんな彼女は、タイをはじめ世界中のトランスジェンダーのロールモデルになれて誇らしいと語る。最後にはこのようにメッセージで締めくくった。

私はスーパーモデルになることは、そこまで気にしていないわ。本当に願っていることは、トランスジェンダーの良きお手本として、世に名を残すこと。実現させたいことに情熱と努力を傾けたら不可能なことなんてないって伝えたいの。

今24歳だという彼女。トランスジェンダーの人々を勇気づける、モデルとしての活躍ぶりがこれからも楽しみ!