たとえ数百万人のファンがいて、トップチャートに名を連ね、音楽賞をいくつも受賞するような有名人でも、人生の逆境は訪れるもの。

日本でも楽曲「ワーク・フロム・ホーム feat. タイ・ダラー・サイン」で大ブレイクした、人気ガールズグループ「フィフス・ハーモニー」。2016年に突然メンバーの1人、カミラ・カベロが脱退を表明し、世間を騒がせたことは記憶に新しいはず。

メンバーの1人であるノーマニ・コーディ21歳)は、有名になった今でも様々な恐れや不安と闘いつつ、自身のプラットフォームで世界にメッセージを発信しながら、自分に出来ることを懸命に成し遂げているそう。

実は子どもの頃に母親ががんに冒され、叔父は同じくがんによって33歳でその命を落とし、祖父は今でも闘病生活を続けているというノーマニ。現在アメリカがん協会グローバルアンバサダーを務める彼女が、コスモポリタン アメリカ版のインタビューで、がんと闘い回復を遂げた母の姿と、そこから逆境に立ち向かい、不安を克服していく勇気を教わった経験について話してくれました。

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——当時の若さで、お母さんががんと闘う姿を見守るのは、正直どんな気持ちでしたか?

まだ小さかったので、事態を100%は把握できていませんでしたが、ある日おばあちゃんが学校に私を迎えに来て、「お母さんが病気になっちゃったのよ」と話してくれた時のことはよく覚えています。自分が風邪などのちょっとした病気になった時のことを思い起こしていましたが、がんという病気の恐ろしさを当時は全然理解できていませんでした。

母は6カ月間の化学療法期間中、よく髪の毛が抜けると話していました。ある日学校から帰って来た私は、トイレに座る母の髪を、父がカミソリで剃っている姿を目にしました。それからは時折、母が母に見えなくなってしまって、すごく怖くなりました。そのことで彼女をひどく傷つけて、泣かせてしまったこともありました。

昔の話ではありますが、今でも当時母が凛と構えていたことをよく覚えています。それは本人のためでもあり、それ以上に家族のためだったんだと思います。彼女はいつだって私の力の源でしたし、自分で自分に失望してしまう時でさえも、変わらず私を信じ続けてくれた私のヒーローでした。今、こうして彼女がツアーに一緒に来てくれていることは神の恵み以外の何物でもないですし、決して当たり前のことだとは思っていません。2001年から無事寛解期に入り、私がこうして自分の夢を叶えている姿を母に側で見てもらえることは、この上ない喜びです。

これはxの内容です。詳細はそちらでご確認いただけます。

——お母さんの闘病生活を目の当たりにして、どのような影響を受けたと思いますか?

母の回復への道は、私にも困難を乗り越える力を与えてくれました。彼女が乳がんと闘っている時もそうですし、(2005年の)ハリケーン・カトリーナの後何もかもを捨てて、家族で別の州に移住しなければならなかった時も。希望を失わずにがんを克服した母の姿から、(自分の仕事などにおいても)自信を失って諦めそうになった時、自分を信じ続けようと思えるようになりました。世界で活躍するガールズグループのメンバーであっても、不安はつきものですから。今では自分の強みもだいぶ分かるようになって来ましたし、失敗しても少し落ち込んだら、また立ち直れるようになりました。でもやっぱり昔からの癖で、どうしても人と比べてしまったりするんですよね…。まだまだ成長途中です。

——なんだか詐欺師症候群みたいですね。

本当ですよね。一般の人たちは私たちのような歌手やポップスターを見ると、きっと授賞式とかでパフォーマンスをして、お客さんを盛り上げている姿ばかりを思い浮かべると思います。何もかも上手くいっていて、人生を謳歌しているような…でも、本当は違うんです。私たちにだって不安や、自分自身に対する懐疑心があるし、みんなと同じように悩みながら人生を歩んでいるんです。それがもしかしたら、むしろ人よりも巨大化してしまっているのかもしれません。

——公の場で繊細なトピックについて話すことを、どう感じますか?

私には人々を勇気づける責任と義務があるような気がしています。それは相手がファンであれ、インスタグラムのフォロワーであれ変わりません。こうして発信するプラットフォームがあること自体が本当にありがたいことですし、私の言葉にしばし耳を傾けてくれた人たちが、その日少しでも元気になってくれたらいいなと願っています。ファン方々の中には、私の母の話を聞いて、彼女に愛のこもったツイートをしてくれる人もいて、すごく嬉しかったです。

——あまり頑張り過ぎないように、どうやって自分の精神的かつ肉体的なケアをしていますか?

毎日休みなく仕事をしていると、それはなかなか難しいですね。時には一旦すべてから離れる必要があるけれど、自分でもそのことに気づけなくなってしまう時があります。そういう時は、一緒にツアーに付き添ってくれている母(私の大親友でもあります)が、私が精神的にも肉体的にも無理をしないように目を光らせてくれています。実家が大好きで、少なくとも1週間以上は1カ所に留まって安定した生活を送りたい私にとって、やっぱりツアーは1番大変です。

アリー・ブルックとは1番の仲良しです。お互いテキサス出身ですし。ツアー中のある夜、彼女が私のベッドに来て、一緒に夜な夜な話しながら泣いたり笑ったりしたのを思い出します。私たちのような生活を送っていると、なかなか人には分かってもらえないことも多いので、同じ経験をしている仲間や話し相手がいるということは、大きな励みになります。

——プラットフォームを持たない一般の人たちが、がん撲滅のために闘うにはどんな方法があると思いますか?

とにかく色々ながん協会のウェブサイトを検索してみて欲しいです。チャリティーマラソンなどの一般参加型プログラムもたくさんありますし。数カ月前に、私と母もある施設を訪問して、患者さんたちとお話することができました。年配の方が多かったので、私のことを知らない方がほとんどでしたが、それでも私たちが来たことをすごく喜んでくれて。ちょっとしたことかもしれないけれど、患者さんたちにとっては大きなことなんです。若い私たちでも、そういった無数の小さな一歩を通して、世界を大きく変えていくことが出来ると信じています。

この翻訳は、抄訳です。

Translation: 名和友梨香

COSMOPOLITAN US