コスモが注目するセレブたちを誕生日別に一挙紹介する連載企画。自分と同じ誕生日のセレブを探すもよし、憧れの人の誕生日を勝手に祝うも良し! 新しい出会いもあるかも♡
8月16日
マドンナ
1958年生まれ。歌手であり、ポップスターとして20世紀を代表する存在。アメリカ・ミシガン州で生まれたマドンナは、小さい頃からピアノやバレエを習い、さらにダンスを嗜みパフォーマンスの基礎を身につけ始める。そして1977年、「有名になる」という夢を抱いてたったの35ドルをポケットに詰め込み、長距離バスでニューヨークへ。タイムズスクエアを目の前にして夢を誓い、ファストフードでのアルバイトや生活費のためのヌードの仕事を掛け持ちし、なんとか1982年にシングル「エヴリバディ」で歌手デビュー。その後の活躍はご存知の通り、楽曲売り上げや各賞の受賞はもちろんのこと、パワフルなパフォーマンスや女性としての芯のある生き方が、彼女を歴史的スターの座に導いた。ちなみに最近の話題も、11歳の息子デイヴィッドくんがサッカーチームに入団することになり、長らく拠点としてきたアメリカからポルトガルに移住することにしたことなど、どこまでも愛の溢れる真っ直ぐな姿が憧れ♡
8月17日
ロバート・デ・ニーロ
1943年生まれ。俳優。1974年公開映画『ゴットファーザー パートⅡ』で有名。幼少期から役者に憧れていたロバートは数々の小規模映画への出演を経て、同作で出世。ニューヨーク市生まれの彼だったが、この作品でのイタリア・シチリア出身のマフィアであるドン・ヴィト・コルレオーネ役のために、現地まで出向いてシチリア訛りのイタリア語をマスター。役が評価され、1975年アカデミー賞助演男優賞を受賞。このように、ストイックな役作りもよく知られていて、役と同じ職業を可能な限り実際に経験することで、ハードボイルドな役柄に説得力が生まれるよう。しかし2011年、ロバートが68歳の時に6人目の娘ヘレン・グレースちゃんが誕生。ニューヨーク市内では2人仲良くお出かけする姿も目撃されているみたい!
8月18日
ミーカ
1983年生まれ。レバノン出身ロンドン在住のシンガーソングライター、音楽プロデューサー。本名はマイケル・ホルブルック・ペンニマン・ジュニアであり、マイケルの短縮系で"ミーカ(Mika)"と名乗っている。1歳の頃に、内紛のため家族でパリに移住し、その後父親がアメリカ大使館に人質として監禁され、イギリスに助けを求めてさらに移住した過去を持つ。青春期は音楽に傾倒し、ロンドンにある王立音楽大学へ入学。在学中からミュージシャンとして活動し、最終的に大学は中退して活動を本格化。広告楽曲の制作活動に携わりながら、マイアミやニューヨークを拠点としてライブ活動を開始。2006年にアルバム「Life In Cartoon Motion(原題)」でデビュー。高音使いが新鮮なポップなヴォーカルが人気。
8月19日
ココ・シャネル
1883年生まれ。ファッションデザイナー。フランス南西部オーヴェルニュ地方で生まれる。11歳の時に母が病気で他界し、さらに父に捨てられたため、孤児院や修道院で育つ。18歳でお針子として仕事をするため施設を出たが、芸能界への憧れもあり、キャバレーの舞台に立つように。"ココ"は当時歌っていた歌のタイトルにちなんでつけられたニックネームである。結局、芸能界を諦めた彼女はお針子の道へ進み、交際していた将校エチエンヌ・バルサンに後押しされて1909年、パリで帽子のアトリエを開業する。1915年、同じくパリに「メゾン・ド・クチュール」をオープン。その頃から女性のファッションを大きく変革したメゾン「シャネル」が本格的にスタート。リトルブラックドレスや、香水「No.5」、シャネルスーツなどの名作を生み出した。1971年、パリにてコレクション準備中に帰らぬ人に。
8月20日
アンドリュー・ガーフィールド
1983年生まれ。俳優。アメリカ生まれで、3歳の頃からイギリス育ち。高校卒業後から、ロンドンにある演劇学校セントラル・スクール・オブ・スピーチ・アンド・ドラマにて俳優を志して学ぶ。それから舞台俳優としてキャリアをスタートし、2007年にはロバート・レッドフォード監督作品映画『大いなる陰謀』で映画界からも注目される。着々とキャリアアップしたアンドリューは、2012年には映画『アメージング・スパイダーマン』で主役を演じるまでに。プライベートでは、エマ・ストーンと4年ほど交際していたことでも知られる。2015年に破局を迎えたものの、2017年1月にはまだエマのことを好きだって認めちゃったり、3月のアカデミー賞授与式には絆を感じさせる熱いアイコンタクトをしていたり...。そろそろいい加減、エマもビックリするような素敵な恋愛をして、次のステップに進んで欲しいところ!
8月21日
ウサイン・ボルト
1986年生まれ。陸上競技短距離選手。画像のポーズで人気であり、ニックネームは「ライトニング・ボルト」。北京・ロンドン・リオデジャネイロオリンピックで通算8個の金メダルを獲得。身長196センチと長身で、180センチ代の多い短距離走はスタート時の加速において長身選手は不利だとされるが、長い足を屈指したストライド走法で急加速し後半に追い込むスタイルが特徴。オリンピックや世界選手権の度に、このドラマティックな走りで世界を魅了するボルト。しかし、そんな彼も2017年ロンドンでの世界陸上を最後に引退するんだとか...。
8月22日
キース・パワーズ
1992年生まれ。俳優、モデル。カリフォルニア州で4人兄弟の長男として生まれたキースは、母の影響で9歳からモデルに興味を持つ。高校時代にはサッカー選手を夢見たこともあったが、モデルとしての活動をスタートさせると同時にサッカーの道を諦めることに。その後、<カルバン・クライン>のランウェイに登場するなどモデルの仕事は順調だったものの、演技という新しい領域に出会い恋に落ちるように俳優としての活動をスタート。2013年映画『ハウスパーティ』シリーズの5作品目でデビュー。2015年には映画『ストレート・アウタ・コンプトン』でヒップホップグループN.W.Aの歴史を描いた伝記映画に出演し、さらに音楽まで活動領域を広げている。今後も見放せないアクティブなキース!
8月24日
ルパート・グリント
1988年生まれ。イギリス出身の俳優。映画『ハリー・ポッター』シリーズのロン・ウィーズリー役で知られる。原作『ハリー・ポッター』のファンであったことから、オーディションに応募してロン役を勝ち取ったルパート。同作でデビューを飾り、世界中から12歳当時の姿を記憶されているであろう彼も今年で29歳。そんな彼、実は『ハリー・ポッター』シリーズが終わって以降、演技をやめることも考えていたそう。現在も映画には出演し続けているものの、最近それよりも話題になるのが、エド・シーランと外見がそっくりだということ! これは本人も認めており、TV番組でエドのモノマネをして歌うジョークを飛ばすほど!
8月25日
ブレイク・ライブリー
1987年生まれ。女優。2007年から始まったTVシリーズ『ゴシップ・ガール』で主役のセリーナを演じたことでブレイクした。ロサンゼルスで、俳優の父の下に生まれたブレイクは、1998年映画『サンドマン』で女優デビュー。当時11歳と子役ではあったが、その後も活躍し続け2005年に映画『旅すると16歳の夏』で人気を博し、『ゴシップ・ガール』で大ブレイクするに至った。一躍大スターとなった彼女は、2010年に<クリスチャン・ルブタン>で豪快に40足もの靴を購入し、アトリエにも訪れるほどのルブタン好き。翌年同ブランドから<ブレイク>という名前のシューズが発売されたほど! 『ゴシップ・ガール』の続編も気になるけど、彼女の明るい笑顔はどんな作品でもずっと見ていたい♡
8月26日
マコーレー・カルキン
1980年生まれ。俳優。1987年に映画デビュー。1990年公開映画『ホーム・アローン』が世界的ヒット作品となったこと、さらにマコーレーが叫ぶシーンがあまりに可愛らしく話題になったため、有名子役となる。その人気でしばらく活躍していたが、マネージャーを務めていた父のトラブルによるオファーの減少や、両親の離別によるマコーレーが稼いだ金銭分与の裁判などで、1996年には両親の裁判が終わるまでの俳優休業を発表。裁判は終わったが、それをきっかけとして引退を決意。とは言え、元有名子役で世界の注目を集める存在だったマコーレーはすぐには穏やかな生活には戻れず、2004年には薬物所持で逮捕される。事実上、2003年に映画『パーティ・モンスター』で俳優復帰していたため、大きなゴシップとして取り沙汰されてしまうことに。しかし、最近はどうやら落ち着きを取り戻したようで、以前から親交のあったマイケル・ジャクソンの娘パリス・ジャクソンの代父として仲睦まじく過ごしているみたい!
8月27日
トム・フォード
1961年生まれ。ファッションデザイナー。テキサス州出身の彼は、高校卒業後にニューヨーク大学でアートヒストリーを1年間学びながら俳優を目指していたが、その後25歳までパーソンズ・スクール・オブ・デザインで建築学を専攻しデザインの道で才能を磨き始める。ニューヨークのファッションブランドでキャリアをスタートさせ、1990年にミラノに移り<グッチ>でレディス部門のデザイナーを務めることに。1994年には同ブランドのクリエイティブディレクターに就任し、そのセクシーなデザインからブランドを革命へと導く。2001年には<イヴ・サンローラン>のクリエイティブディレクターにも就任。グッチグループを牽引し、カリスマ的デザイナーに。現在は自身のブランド<トム・フォード>に注力する他、映画監督としても活躍中。
8月29日
マイケル・ジャクソン
1958年生まれ。エンターテイナー。"キング・オブ・ポップ"と称されるシンガーソングライターであり、ダンサー。アメリカ・インディアナ州に生まれ、兄弟と組んだユニット「ジャクソン5」で1969年にシングル曲「I Want You Back(原題)」でデビュー。マイケルの若干11歳の透き通る高い歌声が持ち味となり、グループの中でも特に注目される。1971年には「Got To Be There(原題)」でソロデビュー。ジャクソン5時代からチャートを賑わせていたスターだったマイケルは、その後も留まることなく躍進。「スリラー」「バッド」「ビートイット」など、ミュージックビデオのダンスも話題になり音楽のみならずエンターテイナーとして愛される。多くのヒット曲を生み出し、同様にゴシップでも話題が絶えなかったマイケル。1979年にステージに鼻をぶつけて大怪我をしたことで、整形を始めたことでも知られるが、徐々に白くなっていった肌の色に関しては尋常性白斑が一因。2008年ベストアルバム「キング・オブ・ポップ」をリリースし、ツアーも予定されていたが2009年に自宅にて心肺停止となり他界。マイケルのあまりの突然死に、世界中が悲しみに暮れた。
8月30日
キャメロン・ディアス
1972年生まれ。モデル出身の女優。カリフォルニア州サンディエゴに生まれ、名門ロングビーチポリテクニク高校に在籍していた16歳の時、<エリート・モデル・マネジメント>と契約を結んでモデルとしてのキャリアをスタート。17歳でデビューしたキャメロンは、その後すぐに<カルバン・クライン>や<リーバイス>と契約を結び人気モデルの道を進む。ブロンドヘアとピュアな表情が人々を魅了し、1994年には映画『マスク』で女優としてもデビュー。1998年には主演のラブ・コメディ映画『メリーに首ったけ』が大ヒットし、ハリウッドの第一線で活躍するように。2000年から『チャーリーズ・エンジェル』シリーズにも主演し、安定した人気があったが2014年からは女優業をパッタリと休業しているみたい。その理由は、ずっと第一線で活躍していた彼女だからこそ、忙しい日々に一度ピリオドを打ち、自分を見つめ直すためだそう。
8月31日
リチャード・ギア
1949年生まれ。俳優。映画『プリティ・ウーマン』や『愛と青春の旅立ち』で知られる。哲学を学んでいた学生時代、俳優を志して大学を中退。舞台俳優として下積みを経験し、ブロードウェイの舞台にも立つ。1975年『ニューヨーク麻薬捜査線』で映画デビュー。その後も数多くの作品に出演し、紳士的でユーモラスな姿が愛されている。さらに、日本との関わりも深く2004年に映画『シャル・ウィ・ダンス? 』で日本映画のリメイクにおける主演を務め、2009年には同じ日本映画のリメイク映画『HACHI 約束の犬』では主演のみならず製作から指揮している。そんなダンディなリチャード、実は1999年に米<ピープル>誌が発表した「最もセクシーな俳優」に選ばれていたなんて過去も!