誰もが羨む美貌や知性など、すべてを兼ね揃えた往年の女優たち。そんな彼女たちのリアルラブストーリーは映画並みに激しく、スキャンダラス。略奪愛や不倫にはじまり、周囲の声をものともせず愛を貫いた彼女たちの列伝を、とくとご堪能あれ。
オードリー・ヘプバーン
最も偉大な女優として、没後20年以上が経った今も尚不動の人気を誇るオードリー・ヘプバーン。実はそんな彼女も、2度の結婚・離婚を経験。1番目の夫は舞台『オンディーヌ』の共演者で、12歳年上の俳優メル・ファーラー。カクテルパーティで出会いオードリーに一目惚れした彼は、共演するために自ら舞台脚本を送ったというロマンチスト! すでにメルはバツ2子持ちだったけれどそんなことを意にもせず、すぐに結婚を決めたというオードリーもさすが。彼との間に長男ショーンをもうけた後、スターへの階段を駆け上っていくオードリーとメルにはすれ違いが生じ、やがて離婚。
同年に、10歳年下のイタリア人心理学者アンドレア・ドティと旅先で運命的な出会いを果たしたオードリーは、40歳にして二度目の結婚を決意。次男ルカを出産し、4人仲睦まじい生活を送っていたのも束の間、アンドレアの浮気が発覚し離婚。どの時代も男の火遊びは問題の種なのね…! 晩年はオランダ人俳優ロバート・ウォルターズと過ごしていたそう。
ところがオードリー自身、若い頃に不倫の経験もしているというから驚き! お相手は『麗しのサブリナ』で共演したウィリアム・ホールデン。妻子持ちだった彼との結婚、そしてこどもを望んだオードリーだったけれど、精管を切除していたウィリアムとは未来が描けないということで別れたんだとか。自分の家族像をとても大事にしていた、そんなオードリーが想像できるエピソード。
ジェーン・バーキン
飾らないその姿で、世界中の人々を虜にしてきたジェーン・バーキン。彼女と言えば、天才にして華やかな女性遍歴を持つセルジュ・ゲンズブールとの恋愛が、多くの人々の記憶に色濃く刻まれているはず。
伝説のカップルとまで称されたふたりの出会いは、映画『スローガン』のオーディション。すでに大スターだったセルジュは、当時まだ無名で、フランス語も堪能でないジェーンに対し厳しく当たっていたそうで、お互いのファーストインプレッションは最悪だったとか。それでも、気を利かせた監督のアシストもあり恋に落ちたふたり♡ "外見よりも中身を見るべき"という名言を残しているジェーンだけに、知的なセルジュに惚れたのは納得かも。
ジェーンにとって歌手デビューとなったデュエット曲「Je t'aime…moi non plus」は色情を歌ったもので、当時いろいろな意味で旋風を巻き起こし、同名の映画も公開。ふたりの娘シャルロットも名女優へと成長! そんな伝説のカップルも、セルジュの酒乱とDVにより離婚という悲しい結末を辿ってしまったけれど、彼の死にショックで歌えなくなってしまったジェーンからは、魂が永遠に繋がっていることを感じられるはず。
その後ジェーンは映画監督のジャック・ドワイヨンと再婚するも10年後に別れを告げ、70歳になった今も自由奔放な恋愛を楽しんでいる模様。セルジュと出会う前の18歳の時には、『007/ジェームズボンド』のテーマ曲を手掛けた作曲家ジョン・バリーと結婚しており、今は亡き娘ケイトは彼とのこども。
自然体で美しいジェーン。相手の内面を感じ取り、情熱的に愛を注ぐ彼女の姿はミューズそのもの!
ジューン・カーター・キャッシュ
音楽の草分け的存在であったカーターファミリーの名歌手にして、かのジョニー・キャッシュの妻として愛されたジューン・カーター・キャッシュ。ジョニーとの出会いから死まで、一貫して芯の強い女性像が伺える彼女の生き様は、まさにレディの鏡!
もともと既婚者、子持ちだったジョニー。歌手を目指す彼に、あまり良い顔はしていなかった家族をよそに、歌手として念願のデビューを果たし、ジョニーがこどもの頃から憧れていたジューンとツアーに参加することに。まるでおとぎ話のように、次第に惹かれあっていくふたり…。この時すでにジューンも結婚の経験があり、こどももいる上にクリスチャンという境遇もあって、ある意味破天荒なスタートとなったはず。やがて影を落とすようにドラッグにハマって行ったジョニーは、逮捕されてしまうのだけれど、それを献身的に支えたのはもちろんジューン。
意外にも頑なに結婚をお預けしていた彼女も、ファンを目の前にステージ上でジョニーが何十回目かのプロポーズをした際には、それを受け入れ晴れて結婚に漕ぎ着いたとか。数々のヒット作品をデュエットで手掛け、まるで画に描いたように愛し合う夫婦は、生涯を通して人を愛することを体現していたかのよう。
そんなふたりの軌跡は、ジョニーの自叙伝的映画『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』にて鮮明に描かれているので要チェック。2003年のジューンの死後、それを追いかけるようにジョニーがこの世を去ったというのは、語り継がれている有名な話。
キャロル・ロンバード
33歳という若さでその生涯の幕を閉じた、スクリューボールのコメディ女王キャロル・ロンバード。美麗でエレガントながら、どこかコケティッシュでスマートな面白さを兼ね揃えた彼女は、短い人生ながら世に多くの影響を残した女性のひとり。
男兄弟に囲まれて育ったキャロルは、ユーモアに富み人あたりが良く、パーティガールでもあったそうで、その恋愛模様ももちろん華やか。共演者と浮き名を馳せつつ、初婚のお相手は13歳年上の俳優ウィリアム・パウエル。当初は歳の差を感じさせないほどラブラブだったそうだけれど、価値観の違いから2年後に離婚。
そして次に愛を交わしたのがハリウッド界切ってのプレイボーイ、クラーク・ゲイブル。既婚だった彼とは不倫関係だったため、周囲のバッシングが物凄かったとか。"ハリウッド"よりもお互いを選んだふたりは、ゲイブルが前妻と離婚した後に結婚♡
「これ以上にないほど幸せな時を過ごした」と口にするほど、女好きのゲイブルをぞっこんにさせたキャロル。そんな彼女が事故死を遂げた際には、あまりのショックに俳優業を一時引退。アメリカ空軍に入隊し、自らを死に近い状況に追いやっていたとか。その後彼が息を引き取った際には、遺言によりキャロルのお墓の隣に埋葬されたそう。
これだけ男性を虜にしてしまう彼女の魅力。それは、その天真爛漫な女性らしさにあるのかも。
ヴィヴィアン・リー
映画『風と共に去りぬ』(1939)のスカーレット・オハラ役を熱演し、アカデミー主演女優賞を受賞したことでも知られる、イギリスの美人女優ヴィヴィアン・リー。その美貌と演技力で名声を得たのはもちろん、ローレンス・オリヴィエとの熱い恋愛は当時とてもスキャンダラスで、強い関心が寄せられたことでも有名!
映画『無敵艦隊』での共演をきっかけに、グッと関係が縮まったふたり。互いに既婚の身ではありながらも想いを抑えることはできず…それぞれの結婚相手が拒むのを説得し、離婚に踏み切って再婚。
愛情はどんどんヒートアップしてくものの、仕事の忙しさに加えて2度の流産を経験したり、肺結核を患ったことでヴィヴィアンの体調は悪化。さらに双極性障害を抱えていたため、次第に演技をこなすことが難しくなってきたそう。そんな中、俳優ピーター・フィンチと情事を重ねてしまったことを打ち明けたヴィヴィアンに対し、病のこともあってはじめは寛容的だったローレンスだったけれど、彼も他の女性に癒しを求めるようになり次第に夫婦関係は破綻してしまう。
最終的にヴィヴィアンの心の拠り所となったのは、ローレンスへの未練が残る彼女を心から受け入れ、晩年穏やかな日々をもたらしてくれた俳優ジョン・メリヴェール。悲しいことに、寝室で倒れこむように亡くなったヴィヴィアンを発見したのはジョンだったそう。でも決して一人きりではなく、愛され続けていたことが何よりも救いとなったはず。
まるで映画のような壮絶な人生を歩んだヴィヴィアンだけれど、彼女らしく、一度切りの人生を謳歌していたのでは? ロンドンの大英図書館やヴィクトリア&アルバート博物館にはヴィヴィアンとローレンスがお互いに宛てた手紙が保管されているのでぜひ足を運んでみて。
ロミー・シュナイダー
華やかな女優人生とは裏腹に、悲劇のヒロインさながらの凄まじい人生を歩んだロミー・シュナイダー。俳優である厳格な両親の下に育った彼女は、16歳にして映画『プリンセス・シシー』(1955)で大ブレイク。その名を取った"シシー"の愛称で親しまれていたけれど、植えつけられた"お嬢様"というイメージに悩むことも多々あったとか。
後に、当時無名だった俳優アラン・ドロンと『恋ひとすじに』(1958)で共演。言葉の壁もあって初めこそお互いに悪印象を抱いていたものの、次第に恋に落ちていくふたり。ドイツからアランの住むフランスへと活躍の場を移し、同棲をスタートしたロミーには、「お嬢様のイメージが台無しだ!」と批判もあったとか。それでも気持ちを優先した彼女。マスコミを通して婚約を発表し順風満帆かと思いきや、なんとアランは他の女性と結婚! 女性の立場からしたら、なんてひどい男なの…って思ってしまうけれど、きっと事情があったはず…。
一方ロミーは、アランへの募る想いを閉じ込めながら俳優ハリー・マイエンと結婚。ここからがまた悲劇的で、女優業も山あり谷ありを経験、彼との間に誕生した息子ダーヴィットは14歳の時に不慮の事故で亡くなってしまい、またすでに離婚はしていたもののハリーも自殺を遂げてしまうという不幸の連鎖。愛息子を失ったロミーはアルコールと薬に手を出すようなり、さらに追い打ちをかけるように金銭面でもトラブルに見舞われ破産。唯一の癒しが演じることだったという女優魂に根付いたロミーだったけれど、43歳にしてその生涯を閉じ、亡き息子とともに眠っているそう。
もしあの時アランと幸せな家庭を築けていたら…と感じずにはいられないけれど、もしそうだとしたら今ある"女優ロミー・シュナイダー"は存在しなかったと思うと、これもまた彼女の運命だったのかも。
エヴァ・ガードナー
ブロンド女優が優勢だった時代に、抜群のスタイルとはっきりとした顔立ち、熟成したセクシーさで"ファム・ファタール"の異名をものにしたエヴァ・ガードナー。はじめはピンナップガールとしての仕事が目立っていたそうだけれど、売れっ子俳優ミッキー・ルーニーと結婚したことで、その名が世に知られることに。
結婚生活は1年半で終わりを迎え、その後ミュージシャンのアーティ・ショーと結婚しこどもに恵まれるも、こちらも即離婚! 映画実業家のハワード・ヒューズをはじめ、数々の男性がエヴァのエキゾティックな魅力の虜となっていくのだけれど、三番目の夫となったエンタテイメント界の帝王にして歌手のフランク・シナトラとの関係が、エヴァにとっても最も情熱的な恋愛となったはず。
もともと3人のこどもがいる既婚者だったシナトラ。偶然の出会いがまるで運命のように重なり、趣味趣向が合うふたりが恋に落ちるのは時間の問題だったよう。前妻と離婚してわずか10日で結婚に漕ぎ着いたふたりは、激しく愛し合うように。シナトラは意外にも嫉妬深く、エヴァが前の夫と会うようなことがあった時にはホテルの壁に銃を発砲したり、幾度か自殺未遂を犯しことも。そうして激しさを増していったふたりの関係は、やがて破局を迎えてしまう…。
晩年のエヴァはハリウッドからも距離を置くようになり、67歳の時に肺炎が原因で他界。多くの男性を翻弄した彼女だったけれど、シナトラにこそ真の愛を見出していたはず。
リタ・ヘイワース
映画『ギルダ』(1946)でセックスシンボルとしての地位を確立し、40年代のハリウッド界を風靡したリタ・ヘイワースもまた、5度の結婚と離婚を経験。
内気だったというリタは、ダンサーの両親を持ち、親の指導の下10代はじめの頃からステージで踊っていたそう。一番最初の結婚は18歳の時で、愛を感じられなかったリタは離婚を決意。その次の結婚相手はプロデューサーのオーソン・ウェルズで、彼との間には娘も誕生しているもののやはり離婚。やがてプレイボーイとして名を馳せていた(愛人が何千人もいたとか!?)インドの王子アリ・カーンと恋の逃避行を経て結婚、ハリウッド界を離れて妻に専念するも短期間で破局を迎えることに。プレイボーイとの結婚生活が難しいことはなんとなく想像がつくかも…。その後も結婚しては映画界を離れ、短期間で離婚というサイクルを繰り返していたリタは、晩年アルツハイマーを発症。
内側から溢れる色気と、どこか甘いその少女のような美しさで世界中の男性のアイコンとなりながらも、愛を求め続け男性によって人生を左右されてしまったリタ。美しすぎて優しすぎることも、時には仇となるのかもしれない…。