20世紀のクレオパトラとも、ハリウッド最高の美女とも言われた大女優エリザベス・テイラー。『バターフィールド8』と『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない』で2度のアカデミー賞主演女優賞に輝いている彼女は、79年の生涯のなかで7人の男性と8回結婚した恋多き女でもありました。
けれど決して衝動的というわけではなく、いつだって本気、いつだって全身全霊で相手を愛し、愛した人とは必ず結婚という形をとるのがエリザベス流。何度も結婚を繰り返す理由をマスコミに問われ、「私は両親から誰かを本当に好きになったのなら結婚しなさいと教えられたの。古風な女なのよ」と答えた彼女。その8回の結婚を振り返ってみます。
1.コンラッド・ニコルソン・ヒルトン・ジュニア(1950年5月6日~1951年1月29日)
その名からわかるようにヒルトンホテル創設者の息子であり、パリス&ニッキー・ヒルトン姉妹の大伯父にあたるコンラッド・ジュニアとクリスマスパーティで出会い、たちまち意気投合し、18歳で結婚したエリザベス。幼い頃から子役としてハリウッドで活躍し、すでにスターだった彼女と若き御曹司の結婚はビッグニュース! ビバリーヒルズ教会で豪華な式を挙げ、クイーン・メリー号で南フランスへ向かってウキウキのハネムーンを過ごしたものの、この旅行中にコンラッド・ジュニアのアルコール問題&ギャンブル癖が発覚。飲酒して暴力をふるう彼のせいで流産も経験したエリザベスはすぐに別れを決意したのでした。
2.マイケル・ワイルディング(1952年2月21日~1957年1月26日)
コンラッド・ジュニアとの離婚で傷心のエリザベスを慰めたのが20歳年上のイギリス人俳優。撮影所で知り合った彼との結婚でふたりの息子を授かりますが、休日はクロスワードパズルをしているような穏やかでおとなしいワイルディングに、エリザベスはどうして私にかまってくれないの!と怒ることもしばしば。その後、23歳年上の映画&舞台プロデューサーのマイク・トッドと恋に落ち、5年で離婚してしまいます。のちに彼女は「彼は今まで出会った人間のなかでも最高のひとり。でも私自身が成熟していなくて、彼にとっては酷い結婚生活だったのではないかと心配だわ」とコメントしています。まだ若いエリザベスに、オトナのワイルディングは物足りなかったのかもしれません。
3.マイク・トッド(1957年2月2日~1958年3月22日)
ワイルディングと離婚後、善は急げとばかりに1週間足らずでトッドと速攻で再婚したエリザベス。トッドはワイルディングと別居後にロスに戻ってきたエリザベスに毎日花を贈るロマンチストであり、積極的にデートに誘うなど猛アタックした情熱家でもあったそう。けれど、娘リザが誕生して幸福の絶頂のなか、トッドは突然の飛行機事故で帰らぬ人になってしまいます。結婚生活はわずか1年ほど、これがエリザベスにとって唯一の"夫との死別"になったのでした。後に、生涯最も深く愛した3つを問われて「(5番目、6番目の夫になる)リチャード・バートン、ジュエリー、マイク・トッド」という言葉を残している他、「最も私に合っていたのはマイクだったと思う」とインタビューで語っています。
4.エディ・フィッシャー(1959年5月12日~1964年3月6日)
トッドの死で悲しみに暮れていたエリザベスの4番目の夫となったのが歌手のエディ・フィッシャー。彼はトッドを兄貴分として慕い、トッドとエリザベスの結婚式で付添人を務め、しかもエディの奥さんデビー・レイノルズはエリザベスの親友だったので大スキャンダルに。不倫のうえ親友から夫を略奪したエリザベス、妻と幼いふたりの子どもを捨てたエディ。バッシングする世間を敵に回して結婚したものの5年後には破局。のちにエディは「僕は夫というより子守りのようだった」と述懐しています。ちなみに『スター・ウォーズ』シリーズのレイア姫ことキャリー・フィッシャーはエディとデビーの子で、父親との確執はとても有名。他人の家庭を壊すことの罪深さを感じますが、デビーとエリザベスは関係を修復し、2001年にはテレビ映画で共演しています。女の友情は案外モロくない!?
5.リチャード・バートン(1964年3月15日~1974年6月26日)
エディとの結婚中、『クレオパトラ』の共演をきっかけに熱烈な恋に落ちたイギリス人俳優のリチャードとエリザベス。W不倫でした。とはいえ、妻子を捨ててエリザベスに走ったエディはすっかり人気を失い、当時、家計を支えていたのはエリザベスという状態。リチャードはよくエリザベスに軽口をたたいてからかっていたそうで、女性に慣れたそうした雰囲気にエリザベスは惹かれたのかもしれませんが、その一方でリチャードは「リズはポルノグラフィーの夢を超えるほど美しい」と日記に書いてしまうほどメロメロでした。ふたりは『予期せぬ出来事』『いそしぎ』『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない』『じゃじゃ馬ならし』の5作品で共演し、エリザベスは美しいだけの女優から演技派へと脱皮。この頃、彼と共に女優として成熟の時を迎えたのでした。
6.リチャード・バートン(1975年10月10日~1976年7月29日)
エリザベスの結婚史上最も長く続いた前回の結婚も、リチャードの浮気癖とアルコール依存症が原因で破局。けれど深く愛し合っていたふたりは離婚の翌年、再婚します。結局2回目の結婚でも別れることになるのですが、リチャードは日記に「リズは非常に刺激的な恋人」「彼女はダメな自分を受け入れてくれる。彼女は私を愛し、そして私は彼女を永遠に愛する」などとエリザベスへの熱烈な愛を綴っていた他、別れるときに「君が僕を捨てるなら僕は自殺する。君なしには生きていけない」と未練タラタラの手紙を書いていました。別れた後も、エリザベス50歳のバースデーパーティに駆けつけたり、リチャードが58歳で亡くなる直前にも「君と過ごした日々が人生で最も幸せだった。もう一度チャンスがないだろうか」というラブレターを送っており、もしかしたら3回目の結婚もあったかも?と思ってしまうほど離れがたかったふたり。この愛はエリザベスにとって生涯、忘れられないものになったのでした。
7.ジョン・ワーナー(1976年12月4日~1982年11月7日)
さすが恋多きエリザベス、リチャードと離婚後半年という短期間で7回目の結婚をします。今度のお相手はニクソン政権で海軍長官を務めていた5歳年上の政治家。英国大使館で開かれたパーティで出会い、その後、ジョン所有の農場に彼女が訪問したことから交際がスタート。その半年後には結婚していたのですから、やはり愛した人とは絶対に結婚する女エリザベス。結婚からおよそ2年後、ジョンはヴァージニア州選出の共和党上院議員になり、その際の選挙運動にはエリザベスも献身的について回り、内助の功を発揮します。ハリウッドを離れ、ヴァージニアに移住したものの、そこでの生活が合わなかったようで、6年で離婚。けれどふたりは別れた後もいい友人関係を築いており、お互いが良い影響を与え合った大人の関係だった模様。のちにジョンは「エリザベスの心と魂は、彼女のクラシックな美貌と同じくらい、古風で美しいんだ」と評しています。
8.ラリー・フォーテンスキー(1991年10月6日~1996年10月31日)
前回の離婚から9年という時を経て、59歳のエリザベスが選んだ最後の夫となったのが彼。この男は一体何者なんだ!?と世間をあっと驚かせた彼は、なんとエリザベスがアルコール依存症のリハビリ先で出会った土木作業員。しかも20歳も年下。当然、財産目当てだとして大騒ぎでしたが、エリザベスの親友だったマイケル・ジャクソンの介添えでネバーランドで費用200万ドルとも言われる豪華挙式をします。けれどやっぱり長続きはせず、別居からの離婚という道をたどります。エリザベスが亡くなった後に、ラリーの妹が「彼女はラリーに毎月3000ポンドの経済的援助をしてくれていた」と明かしていますが、これは慰謝料でもあったのでしょう。