コスモが注目するセレブたちを誕生日別に一挙紹介する連載企画。自分と同じ誕生日のセレブを探すもよし、憧れの人の誕生日を勝手に祝うも良し! 新しい出会いもあるかも♡
12月16日
ザラ・ラーソン
1997年生まれ。スウェーデン出身のシンガーソングライター。2008年、10歳でスウェーデンのオーディション番組に出場し、グランプリの座を掴む。同年、セリーヌ・ディオンのカバー曲「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」でデビュー。2012年には大手レコード会社<テン・ミュージック・グループ>と契約を結び、活動を本格化。さらに翌年には、アメリカの<エピック・レコード>と契約。その後、立て続けに世界的ヒットを飛ばし、フレッシュな美貌も注目され2016年には<クリニーク>のイメージキャラクターに選ばれる快挙! 同年発表したシングル「アイ・ウドゥ・ライク」はクセになるわかりやすい歌詞で人々の記憶に残り、彼女のシンガーとしての地位を確立したよう♡
12月17日
ミラ・ジョヴォヴィッチ
1975年生まれ。旧ソビエト連邦で現ウクライナ出身の女優。ソビエト連邦時代に現ウクライナの首都キエフで生まれ、ロンドンやモスクワへの移住後に5歳でロサンゼルスへ。女優であった母とともに演技を学び、11歳で<エリート>と契約しモデルの道へ。コスメモデルやショーモデルとして活躍した後、1991年から女優に専念。当初はモデル出身のため綺麗どころの役柄が主だったものの、それまでとは少し違う1997年公開リュック・ベッソン監督映画『フィフス・エレメント』での演技力が評価され、代表作品のひとつに。日本では、2002年公開『バイオハザード』でのハードボイルドなミラ役の印象が強い人も多いはず。そんなクールな彼女だけど、実は2児の母!
12月18日
ブラッド・ピッド
1963年生まれ。オクラホマ州出身の俳優、映画プロデューサー。日本でのニックネームは"ブラピ"。保守的な家庭に生まれたブラッドは、大学で広告・ジャーナリズムを専攻していたところを、俳優を志したため卒業直前で中退。デビューは1987年、映画『追い詰められて』だったものの、脇役だったためにクレジットはなし。さらに、その後テレビドラマへのゲスト出演を経て、1988年映画『リック』で初主演を飾ったブラッドだったけれど、ユーゴスラビア紛争の影響から公開されず…。
そんな不遇な時期を過ごしつつも、諦めず地道な活動を重ねたブラッド。1995年に公開された映画『セブン』、そして1999年の映画『ファイトクラブ』で、ようやく日の目を見ることに。現在では、俳優としてアカデミー賞に3度ノミネートされたほか、プロデューサーとして3度ノミネートされるほど、制作側の意向をも汲み取る実力派俳優として知られるまでに!
私生活では、昨年アンジェリーナ・ジョリーとの離婚に踏み切ったばかり。とはいえ、元妻アンジー曰く、家族としての絆は健在のよう。そんなブラッド・ピット、実はオバマ元大統領と遠い親戚関係にあることや、学生時代に友人とストリッパーのメンバーに入っていたことなど、意外なエピソードもたくさん!
ちなみに、12月18日生まれはブラピの他に、クリスティーナ・アギレラ、スティーブン・スピルバーグ、キース・リチャーズなど、超大物の名前がズラリ♡
12月19日
ジェイク・ギレンホール
1980年生まれ。カリフォルニア州出身の俳優。映画監督スティーブン・ギレンホールを父に、脚本家のナオミ・フォナーを母に持つ映画界のサラブレッド。1991年に、子役として映画『シティ・スリッカーズ』でデビュー。1999年には『遠い空の向こうに』映画初主演。その後、2001年にカルチャー色が強く難解な映画『ドニー・ダーゴ』で主演したことで、インディペンデント・スピリット賞主演男優賞にノミネートされ、若手の注目株に。その後もアカデミー賞助演男優賞へのノミネートに加え、味と色気のあるジェイクは、2006年<ピープル>誌が選ぶ「最もセクシーな独身男性」に選出されたり、肩幅の美しさが話題になったりと、実力派イケメン俳優として常に注目されているよう。
12月20日
ララ・ストーン
1983年生まれ。オランダ出身のモデル。ベルギーとの国境近くに有るきたブラバント州に生まれたララは、その美しさから12歳の頃からモデルエージェントに声をかけられていたんだそう。15歳を迎えると同時に<エリート・モデル・コンテスト>に出場したことがキッカケで<エリート>と契約を結びモデルデビュー。現在もランウェイや広告など、スーパーモデルとして幅広く活躍中!
彼女のチャームポイントと言えば、"すきっ歯"。どこかユニークでチャーミング、そしてミステリアスな表情で人気を呼んでいる。個性的な"すきっ歯旋風"を巻き起こしたイットモデルとして急躍進を遂げて以降、多くのラグジュアリーブランドからラブコールが絶えないララに今後も注目を!
12月21日
フランク・ザッパ
1940年生まれ。メリーゴーランド州出身で、20世紀のアンダーグラウンド音楽界において伝説を残したギタリスト。イタリア、ギリシャ、アラブ、フランス、アイルランドなど様々なルーツを持つザッパは12歳でドラムを始め、17歳でギタリストの道へ。高校卒業後から会社勤めの傍ら、クラブ出演や作曲家としてキャリアを積み始める。
1964年にバンド「ソウル・ジャイアンツ」に加入し、レコード会社と契約後に名前を変更すると「ザ・マザーズ・オブ・インヴェンション」のギタリストとして1966年にデビュー。ブルースやジャズ、クラシックの要素を盛り込んだロックミクスチャーミュージックの先駆者としてバンドのみならずソロ活動でも注目を集める存在に。
鬼のようにストイックな作曲への情熱、演奏技法の新鮮なまでもの自由奔放さ、そしてアメリカ国家と政府のキリスト教原理主義に対する精力的な批判活動...。強烈な印象を残し続けた孤高のアーティストとして、20世紀の音楽史に名を刻んだものの、1993年に前立腺癌のため帰らぬ人に。今でも尚、<ローリング・ストーンズ>誌の選ぶ「歴史上最も偉大なギタリスト」にて22位に君臨している。
12月22日
レイフ・ファインズ
1962年生まれ。イギリス出身の俳優。映画『ハリー・ポッター』シリーズのヴォルデモート卿を演じたことで、日本でも知られるように。
写真家の父と小説家の母を持ち、演劇やアートに囲まれた環境で育ったレイフは、ロンドンにある王立演劇学校にて、舞台俳優として活動を開始したことで本格的に演劇の道へ。さらに1988年からはロイヤル・シェイクスピア・カンパニーに参加し、1995年にブロードウェイ作品『ハムレット』で主役を熱演。舞台役者として、トニー賞を受賞するまでに大成。
さらに映画界でも、1990年『ロレンス 1918』で本格デビューを飾ってから、話題作への出演や主演を重ね、1996年『イングリッシュ・ペイシェント』でアカデミー賞主演男優賞へのノミネート。舞台で重ねた実力を銀幕の世界でも発揮した彼は、2004年に『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』でヴォルデモート卿を熱演。世代を問わず愛される人気俳優に!
12月23日
エディ・ヴェダー
1964年生まれ。イリノイ州出身のミュージシャンで、ロックバンド「パールジャム」のヴォーカルを務める。12歳の時、母親から誕生日プレゼントとして贈られたギターで音楽に開花。家庭の事情で高校の頃から、ドラッグストアで働いたがやむなく中退。その後のカレッジへもウェイターとして働きながら通ったという、ロッカーだが実は地道な苦労人。アルバイトやデモテープ制作時代の末に、1990年にパールジャムを結成。1991年にアルバム『Ten(原題)』を発表。これがスマッシュヒットとなり、現在まで語り継がれるオルタナロックの名盤として残ることに。1990年代のグラミー賞を賑わせた同バンドは現在も継続中で、ソロとしても同時に活動中。最近はバンドのコンサート時に盛り上がっている演奏を潔く中断して、前列で女性にセクハラしていた男を退場させるという頼もしい一面も!
12月24日
ルイ・トムリンソン
1991年生まれ。イギリス出身のシンガー。ワン・ダイレクションの最年長メンバーとしても有名。イギリスのオーディション番組『Xファクター』にてボーイズ部門の5人の出場者とともに、2010年にワン・ダイレクションを結成。2011年9月にアルバム『アップ・オール・ナイト』でデビューするとスターダムを駆け上がり、世界的なアイドルに。最年長ながら、いたずら好きで少年のようなはしゃぎっぷりが人気なルイ。また、男らしい一面もあり、最近では彼女をパパラッチから守ろうとしてひと悶着あったことも記憶に新しいはず。私生活では2016年に以前の恋人ブリアナ・ユングワースさんとの間に息子が生まれ、なんとも幸せそう♡
12月25日
アーミン・ヴァン・ビューレン
1976年生まれ。オランダ出身のDJ。トランスミュージックを専門とする人気DJの1人。14歳でDJの道へ進み、大学で法律を学んだ後、卒業するとクラブに勤めて本格的なDJとして活躍。2003年にアルバム『76』でデビューしてから、1990年代後半のトランスブームから派生したダッチトランスを担う重要なDJとして欧州を中心にクラブシーンを牽引。"キング・オブ・トランス"と称されることもある中、ホストを務めるラジオ番組『ア・ステート・オブ・トランス』での親しみやすいキャラクターも人気で、ファンとの交流にも積極的なんだそう!
12月26日
アレキサンダー・ワン
1984年生まれ。カリフォルニア州出身のファッションデザイナー。台湾からの移民で、プラスチック製造のビジネスを成功させた両親の下に生まれたアレキサンダー。幼い頃は寄宿学校に在籍し、ファッションが大好きな子供だったそう。18歳でニューヨークに移り住み、パーソンズ美術大学に進学し、ファッションデザインを学ぶ。在学中から<マーク・ジェイコブス>や<デレク・ラム>でインターンを積み、2004年に大学を中退して家族経営のブランド<アレキサンダー・ワン>を創業。2007年にニューヨークコレクションでデビューし、2008年に「CFDA/ヴォーグ・ファッションファンドアワード」でグランプリを受賞してからは飛ぶ鳥を落とす勢いの人気ブランドに。
シンプルで構築的、そしてどこか棘を感じさせるアヴァンギャルドなストリートスタイルが、ファッションウィーク中のモデルの快適な私服としても各ストリートスナップで多く拡散された。セカンドライン<T by アレキサンダー・ワン>もお手頃価格で人気!
12月27日
クリスティーナ・ピメノヴァ
2005年生まれ。ロシア出身のキッズモデル。現在は生後間もなく家族とともに移り住んだフランス在住。過去にモデルとしても活動していた母親とサッカー選手の父を持つ。3歳からキッズモデルとして活動を始めたクリスティーナ。天使のようだったあどけない表情で、<アルマーニ・ジュニア>などのキッズラインのモデルとして引っ張りだこに。そんな彼女は数年ですくすくと成長し、今年12歳とまだ幼いながら、見違えるような大人顔負けの美少女に。一方で、母親が管理するInstagramアカウントは、「少女を性的な描写で打ち出しすぎでは?」と議論の的になったことも...。まだまだ成長期真っ只中のクリスティーナちゃんが、これからも彼女らしく活躍できることを願いたいところ。
12月28日
シエナ・ミラー
1981年生まれ。ニューヨーク州出身のモデル、女優、ファッションデザイナー。幼少期にロンドンへ移住したため、ロンドン育ち。2000年から進学とともにニューヨークへ戻り、モデルとしてのキャリアをスタート。<ヴォーグ>誌の表紙を飾るなど輝かしい活躍を見せる。2002年から女優業としても活動を始め、舞台への出演を経て、2001年『South Kensington(原題)』で映画デビュー。
2004年には映画『アルフィー』で共演したジュード・ロウとの熱愛が話題に。婚約、ジュードによる浮気、婚約破棄、破局、復縁、そしてまた破局など2011年に完全に別れるまで話題の耐えないカップルだった。一方、女優業は順調で2006年公開映画『ファクトリー・ガール』ではアンディ・ウォーホルのミューズだったイーディ・セジウィック役で初主演。さらには2007年に姉とファッションブランド<トゥエンティ・エイト・トゥエルヴ>を立ち上げたことも! 公私ともに常に注目を集め続けるセレブの1人だからこそ、彼女のスタイルには各時代のトレンドが表れているのでその歴史もぜひチェックしてみて♡
12月29日
ジュード・ロウ
1972年生まれ。イギリス出身の俳優。ロンドンで教師の両親の下で生まれ、幼い頃から演劇の興味を抱くように。12歳で演技を始めてから、17歳の時にはテレビドラマ出演のチャンスを掴むために高校を中退するなど、10代は演技の道を進む日々。それから舞台を中心にキャリアを積み、1993年公開映画『ショッピング』で銀幕デビューを果たす。その後、クリント・イーストウッド監督作品に度々出演し注目の俳優に。
1999年には映画『リプリー』でアカデミー賞助演男優賞にノミネートされ、スマートな佇まいや端正な顔立ちでさらなる話題を呼ぶ。その後は各アワードの常連ノミニーとなるまでになり、すっかり大物俳優の地位を確立。私生活では前日28日に誕生日を迎えたシエナ・ミラーとの交際が話題だったことも!
12月30日
タイガー・ウッズ
1975年生まれ。カリフォルニア州出身のプロゴルファー。父親の英才教育により、生後9ヶ月からゴルフを始めた彼は、2歳ですでに南カリフォルニアでは有名な幼児ゴルファーとなった。4歳でジュニアゴルフ協会に加入してから、著名なゴルファーに手ほどきを受けてメキメキと頭角を現し始める。スタンフォード大学に進学後も、ゴルフの大会を賑わせ続け有名アマチュア選手権にて史上初の3連覇を成し遂げ"タイガーズ・トリプル"と呼ばれる伝説を作ったことでスター選手に。その後、1996年にプロ転向。翌年にはマスターズ・トーナメントで史上最年少優勝を果たす。
神童からスター選手となり、多少の故障や不調はありながらも煌びやかなゴルフ人生を送っていたウッズだが、2009年ごろからは浮気、飲酒運転、そして泥沼不倫とスキャンダラスな存在に...。2017年、ファーマーズインシュランスオープンで復帰戦を果たし、残念ながら予選落ちしてしまったものの、今後どう調子を持ち直すか見守りたいところ!
12月31日
アンソニー・ホプキンス
1937年生まれ。イギリス出身の俳優、作曲家、画家。パン屋の息子として生まれ、演劇学校を卒業後に一度陸軍に入隊。除隊後、再び演劇を学んでからは舞台俳優として活動し始める。演技の基礎を舞台で身につけ、1968年に『冬のライオン』で映画デビューした時から、実力派俳優として重要な役柄をこなすように。1991年、観る人を震撼させる話題シリーズ映画の第1作『羊たちの沈黙』にてハンニバル・レクター博士役を演じ、誰しもが納得のアカデミー賞主演男優賞を受賞。レクター博士の冷徹な印象が強い人々が多いかもしれないけれど、他の映画では表情豊かなおじいちゃん役も演じている模様♡
私生活では2003年にコロンビア人のステラ・アロエヴさんと3度目の結婚をしてから、カリフォルニア州マリブにて絵を描いたりビーチを散歩したり、緩やかな生活を営んでいるみたい♡