どんなに周囲から批判されても、夢と信念に従って生きてきた女性たち。そんな果敢な姿には、今日を生きる私たちを動かすエネルギーがあります。そこで、彼女たちのパワーを感じる名言をプレイバック。きっと、新しい一歩を踏み出す刺激剤になるはず!
【INDEX】
- マドンナ
- レディー・ガガ
- ジェニファー・ロペス
- オプラ・ウィンフリー
- マタ・ハリ
- ヘディ・ラマー
- アナ・ウィンター
- ジェーン・マンスフィールド
- マーガレット・サッチャー
マドンナ
「私はタフで野心があって、自分がほしいものが何かはっきりわかっているわ。それで私がイヤな女と言うなら、それで結構!」― Madonna
アラカンになっても美しさが輝く永遠のクイーン・オブ・ポップ、マドンナ。80年代にポップミュージック界の頂点に君臨した彼女だけど、スタート地点もかなりパワフル!
実は、ポケットに入っていた35ドルだけでニューヨークに出てきた彼女。タクシーの運転手に「この町で一番大きな場所に行って!」と言って向かったタイムズスクエアで、「世界で有名になる」と決意したそう。当時はドーナツ屋などのアルバイトをしながら極貧生活を送り、通っていたダンスカンパニーも振付師と口論になって辞めてしまうなど周囲と衝突することも。さらに、自作の曲を人気クラブのDJに「すごくいい曲があるの」と持ち込んで、DJの唇に強くキスをしたなど数々の下積み時代の伝説も…。そんな努力と大胆な行動を重ねたマドンナはニューヨーク生活5年目にして「ワーナー・ブラザースレコード」と契約を結び、スーパースターへの階段を駆け上ることに。
自己実現のために手当たり次第で突き進みむ姿勢からは、学ぶことがたくさん!
レディー・ガガ
「高校の時、友達はみんな将来Googleで働きたいと言っていた。だけど、私はそこで検索される人になりたいと思っていたの」―Lady Gaga
裕福な家に育ち、パリス・ヒルトンも通ったお嬢様学校の生徒だったレディー・ガガ。
学生時代はロッカーに悪口が書かれるなど、辛いいじめにあっていた中、14歳でニューヨークのクラブでパフォーマンスをはじめるなど、音楽に専念していたそう。その後、薬物中毒の日々を過ごしたり、ストリップで働いたりと、波乱万丈な青春時代を送るも、「スターになりたい」という強い思いでどんなにことも乗り越えます。
"人と違う"ということは、大物になる可能性を秘めているということを証明したことも、ガガ様が愛される理由なのかもしれません。
ジェニファー・ロペス
「直感で『これをやらないと!』って感じることだけをしているわ」― Jennifer Lopez
47歳を迎え、さらに輝きを増すジェニファー・ロペスは、刺激的な恋愛遍歴でも有名。最初の夫は、ジェニファーからナンパしたというキューバ人ウェイター(11カ月で離婚)、その後数々のスキャンダルを持ったショーン・コムズとのスリリングな恋愛、バック・ダンサーのクリス・ジャッドとの結婚(9カ月で離婚)、ベン・アフレックとの婚約(結婚式3日前に婚約破棄)、歌手のマーク・アンソニーと電撃結婚(双子を出産したものの破局)、ドレイクとの恋愛などを経て、今はニューヨーク・ヤンキース元スター選手アレックス・ロドリゲスと交際中。恋愛も仕事も自分の心の声に率直に従ったからこそ、これだけ豊富な人生経験が持っているのかも !?
オプラ・ウィンフリー
「毎日、感謝したことをリストアップするようにしているわ。そうすると、人としての印象が変わり始めるの」― Oprah Winfrey
アメリカでもっとも有名な人気司会者、オプラ・ウィンフリー。彼女が司会を務めた『オプラ・ウィンフリー・ショー(1986~2011年)』は主婦に愛され、昼間のトーク番組として最も高い視聴率を誇っていた。そんなオプラも貧しかった子供時代には親戚からレイプされた経験や、テレビで司会の仕事を始めてからもクビにされてしまうなど、辛い出来事に遭遇しています。それでも、ネガティブなことに目を眩まされずに、日々の中で起こるポジティブな部分にフォーカスすることが成功の秘訣なよう。
マタ・ハリ
「何もかも幻想よ」―Mata Hari
第一次世界大戦中に活躍したダンサー、高級娼婦、そして女スパイの顔を持つマタ・ハリ。
オランダ出身の彼女は、18歳で新聞広告欄の結婚相手募集で見つけたエリートの将校と結婚し、夫の仕事の関係でオランダ領東インド諸島で結婚生活を過ごします。その後、2児をもうけたものの離婚。自分の美を武器に勝負するべく、単身パリへ。上流社会出身の観客の前でエキゾチックなダンスを披露し、ジャワ島からやってきたという触れ込みで当時のパリの人々を魅了します。しかしその美貌が国際的な陰謀の道具となり、ドイツ軍、そして敵国フランス軍のスパイになることに…。
本当に目に見えるすべてのことは幻想と考えていたからこそ、ヨーロッパを股にかけて大胆に行動ができたのかも。
ヘディ・ラマー
「安定した未来より、好奇心や希望に溢れた将来のほうがいいと思う。未知のものが、いつも私を魅了するの」―Hedy Lamarr
最も美しい女優と言われ、1933年『愛の調べ』で映画史上初めて全裸でオーガズムシーンを演じた女優としても知られるヘディ・ラマー。彼女には発明家という異色の経歴も! 現在私たちが使っているブルートゥースやGPSにも利用されている技術の1つは、ヘディがうみだしたそう。また、そのきっかけに至ったのが初めに結婚した武器商人の夫から武器の知識や無線技術を学んだことと、自身がユダヤ人ということもありドイツ軍の攻撃を防ぎたいという思いがあったからだそう。
そして華々しいキャリアだけでなく、恋愛も波乱万丈。嫉妬深かった最初の夫に嫌気が差し、別れてパリへ。その後は女優としてハリウッドデビューも果たし、計6度の結婚を繰り返します。
自分自身にリミットを設けず挑戦することが、彼女の幅広いキャリアと人生経験の秘訣だったのかも。
アナ・ウィンター
「誰でも一度は解雇されるべきよ」― Anna Wintour
世界一有名な女性編集長のアナ・ウィンターだけど、実は多くの人が体験するように仕事でも思い通りにいかない過去があったそう。高校を中退してハロッズや編集の仕事で働き、ニューヨークに渡って『ハーパース・バザー』で編集の仕事を始めたものの、アメリカのマーケットを理解していないという理由で、9カ月でクビに。その後、女性向けエロティック誌『Viva』内でのファッション担当などを経てVOGUEへ。ショックな出来事が起こっても、学んで立ち直ることができたことが、アナ・ウィンター流の成功の秘訣なのかも⁉
ジェーン・マンスフィールド
「決して満足できないわ。私にとって、人生はずっと改善を続けていくものなの」―Jayne Mansfield
グラマラスな体型で、マリリン・モンローとともに1950年代のセックスシンボルとなったジェーン・マンスフィールド。
努力家でIQも高く、17歳で出産してからも子育てをしながら大学で学び続け、5カ国語を話すことができたそう。
その後もUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)で演劇を学びながら、映画館のキャンディ売りなどの仕事をし、端役をこなす日々を送ります。そして、その努力が実を結び映画、ブロードウェイ、テレビ番組などに出演することに。常に、より良い状況を求めてチャレンジし続けてきたよう。
マーガレット・サッチャー
「幸運だったわけではありません。私は努力をしてきました」― Margaret Thatcher
イギリス初の女性首相で、「鉄の女」の異名をもつマーガレット・サッチャー。田舎町の食料雑貨店を経営する家族に生まれ、努力して政治家になった父の姿を見て育つ。そんな彼女自身も"ガリ勉マーガレット"というあだ名をつけられるほど熱心に勉強をし、名門オックスフォード大学に入学。
卒業後は研究科学者として働き、最愛の男性と結婚、双子の子育てをしながらも猛勉強し、弁護士資格を取得。そして、政治家になるべく何度か立候補するも落選、それでも諦めずにいた結果、30代の若さで政治家に。そして、男社会の中で1979年にはイギリス史上初の女性首相に就任し、当時不況だったイギリスを強硬な政治を行い、金融政策にも取り組むことに。強い信念をもって突き進んできた彼女の言葉は、今の私たちにも響きます!