コスモが注目するセレブたちを誕生日別に一挙紹介する連載企画。自分と同じ誕生日のセレブを探すもよし、憧れの人の誕生日を勝手に祝うも良し! 新しい出会いもあるかも♡
9月2日
キアヌ・リーヴス
1964年生まれ。レバノン出身でカナダ・イギリス・アメリカと三ヶ国の国籍を持つ俳優。中華系ハワイアンの父とイギリス人の母の下に生まれ、幼少期は母の再婚相手と世界各地を転々とした。9歳で出演した舞台『くたばれ! ヤンキース』から俳優の道へ進み、1980年代後半から映画を中心に活躍し始める。1994年公開映画『スピード』のヒットにより、アクション俳優としての地位を確立。その後も映画『マトリックス』シリーズに主演するなど、クールでハードボイルドなキャラクターが人気。また、ラーメン好きでも知られており、来日の際にはフラッと庶民的なラーメン店に行くんだとか。
9月4日
ビヨンセ
1981年生まれ。シンガーソングライター、音楽プロデューサー、女優、ダンサー。今年、グラミー賞授与式で夫ジェイ・Zとの間に授かった子供のいるお腹の大きな妊婦姿の神々しさで周りを圧倒し、双子を出産したことでも話題のビヨンセ。今年36歳に成る彼女はテキサス州に生まれ、幼い頃からソウルやゴスペルに夢中になり、家族のバックアップ下でガールズ・グループ「ガールズ・タイム」を結成。10代の頃は高校を中退してレッスンに励み、1997年改名を経て「デスティニーズ・チャイルド」として歌手デビュー。父がマネージャーを務め、母は衣装デザインを担当するというファミリーチームに支えられていた。2002年から開始したソロ活動でもメキメキと才能を見せつけ、歌姫として世界を席巻し、2008年には同じくミュージシャンであるジェイ・Zと結婚。イベント時に、ステージ上のビヨンセを見守る和気あいあいとした家族の姿も微笑ましく、歌手としての成功までの道のりと同様、いつだって家族愛に包まれているみたい♡
9月5日
フレディ・マーキュリー
1946年生まれ。シンガーソングライター。出生名ファルーク・バルサラ。20世紀を代表するロックバンド・クイーンのヴォーカリストであり、フロントマン。イギリス領地だったタンザニアのザンジバル島で生まれ、幼少期はインドで過ごしたフレディは、17歳の頃に家族でイギリスへと移住。カレッジでアートを学び、卒業後からバンド活動を開始。
そして1970年に、その後「クイーン」のメンバーとなるギタリストのブライアン・メイとドラマーであるロジャー・テイラーのバンドに加入。同バンドがメンバー交代を経て「クイーン」に。下積み時代には、バンド活動と並行してケンジントンで古着屋を経営していたことも。
1973年、アルバム『戦慄の王女』でデビュー。音の構成が複雑かつ繊細すぎることからデビュー当初はなかなか理解を得られなかったものの、セカンドアルバムからはヒットチャートの常連に。4枚目のアルバム『オペラ座の夜』に含まれたシングル曲「ボヘミアン・ラプソディ」の世界的ヒットを機に、バンドは語り継がれるべき伝説的存在へ!
特にフレディのエンターテイメント性の高い視覚的アプローチが印象的な歌唱スタイルは、唯一無二と言っても過言でない。1991年、HIVによる合併症のニューモシスチス肺炎により45歳の若さで帰らぬ人に。この世を去った後も、「クイーン」の楽曲は数多くの映画やCMなどに使用され愛され続けている。
9月6日
ピッパ・ミドルトン
1983年生まれ。ケンブリッジ公爵夫人キャサリンの妹として知られているが、パーティプランナーやソーシャライトとしても活動中。学生時代は姉キャサリンと寄宿学校で過ごし、運動神経も良く社交的な性格で姉とは対照的な存在だったそう。
その後はエディンバラ大学で英文学を学び、卒業後はケータリング会社勤務を経て、パーティプランナーとして独立。2016年には長年交際していたジェームズ・マシューズと婚約。ヘッジファンドのCEOである彼は大富豪であり、豪華な挙式とピッパらしいオリジナリティ溢れる結婚式も話題に!
9月7日
エヴァン・レイチェル・ウッド
1987年生まれ。ノースカロライナ州出身の女優。俳優兼映画監督の父と女優の母という演劇一家に生まれた彼女は、幼い頃から女優を志し、1998年に映画『ウィズ・ユー』で子役としてデビュー。2003年には多感なティーンネイジャーの苦悩と葛藤を描いた映画『サーティーン あの頃欲しかった愛のこと』で、見事に渦中の主役を体当たりで演じ、ゴールデングローブ賞主演女優賞にノミネートされるなどハリウッド女優の一員に。
それからの女優としての活動は、映画のみならずアーティストのミュージックビデオに至るまで幅広く、私生活では2007年から19歳年上のマリリン・マンソンと交際。破局後は、バイセクシャルをカミングアウトするという破天荒っぷり。現在は俳優ジェイミー・ベルとの結婚・出産・別居を経ているが、我が道を優雅に駆け抜ける彼女の今後も気になるところ。
9月8日
ピンク
1979年生まれ。ペンシルバニア州出身のシンガーソングライター。ベトナム退役軍人の父が奏でるボブ・ディランなどの曲を聴いて育ち、早くから歌手を志すようになったそう。そんな夢と希望にあふれた幼少期のピンクだったけれど、7歳で両親が離婚し、母親が彼女の夢を理解しなかったことから高校中退と同時に家を出ることに…。後のインタビューで、自身の10代を振り返りながら「教師や大人たちが期待した姿に合わせるように、多くの子ども達が挫折して"期待通り"の行動をとるようになる」と熱弁。
また、自分自身の「やりたい」という思いを貫くことをモットーにしており、2000年に髪をピンクに染めてシングル曲「ゼァ・ユー・ゴー」でデビュー。2001年にはパティ・ラベルのカヴァー曲「レディ・マーマレード」でグラミー賞を獲得してから、歌手として、そして世界的な憧れの存在として輝き続けている。現在は一児の母という顔も!
9月10日
カール・ラガーフェルド
1933年生まれ。ファッションデザイナー。パリを拠点とし、自身の名を冠したブランドの他、シャネルやフェンディのデザイナーとしても有名。ドイツ・ハンブルグ生まれのカールは、パリオートクチュール組合の経営するクチュール学校にてファッションを学び、<ピエール・バルマン>のアシスタントとしてキャリアをスタートし、3年間同職を務めた。オートクチュールからプレタポルテまで、幅広くモダンなスタイルを生み出し、1965年には<フェンディ>と契約、さらに1982年にはシャネルと契約。現在まで続く、そのパートナーシップの長さも有名である。さらに、ポニーテールとサングラス、高い襟とネクタイにレザーのグローブという彼のユニフォーム的服装がトレードマークで、度々グッズが発売されるほど、服だけでなく彼のスタイルそのものが愛されている。
9月11日
タラジ・ヘンソン
1970年生まれ。ワシントンD.C.出身の女優。映画『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』や『ドリーム』などで有名。アフリカ系アメリカ人であり、ミドルネームの「Penta(ペンタ)」はスワヒリ語で「望み」「愛」という意味を持つ。アルバイトで学費を自ら支払ってハワード大学に通った後、1997年に女優としてデビュー。2005年公開映画『ハッスル& フロウ』のヒットで注目されてから、有名作品への出演が増え、2008年公開の『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』でアカデミー助演女優賞にノミネートされた実力派。テレビシリーズ・映画共々、コンスタントに名作に出演している名役者として知られている。
9月12日
ケルシー・バレリーニ
1993年生まれ。テネシー州出身のカントリーシンガーで、次なるテイラー・スイフト的存在としても注目のアーティスト。カントリーラジオのプログラマーをしている父の影響で、幼少期からエンターテイメントに親しみ、3歳からダンスを10年間習ったり、教会のゴスペルで歌ったりと、積極的且つ地道な活動をしていたケルシー。12歳で曲を作り始め、19歳でレコード会社と契約し、2014年に満を持してシングル曲「Love Me Like You Mean It(原題)」でデビュー。ナチュラルで伸びのある歌声が魅力的!
9月13日
ステラ・マッカートニー
1971年生まれ。ファッションデザイナー。元ビートルズのポール・マッカートニーと写真家でミュージシャンのリンダ・マッカートニーの次女。そんな生まれながらのセレブリティとしてロンドンに生まれた彼女は12歳からデザインを始め、なんと弱冠15歳でクリスチャン・ラクロワのクチュールコレクションに従事。それからサヴィル・ロウでの修行を経て、1995年のセントラル・セント・マーチンズ・カレッジ・オブ・アート・アンドデザインの卒業コレクションで注目される。卒業後は、<クロエ>のチーフデザイナーに大抜擢され、自身のブランド<ステラ マッカートニー>を展開。現在はアディダスと提携したスポーツラインや、コスメライン<シンプリー ステラ>まで幅広く手掛けている。また、ファー・シルク・ラムウール・レザーをコレクションに用いらず、比較的ストイックな動物愛護主義者であることでも知られている。
9月14日
エイミー・ワインハウス
1983年生まれ。シンガーソングライター。イギリス・ミドルセックス州出身。父は元タクシー運転手で、母は薬剤師で音楽好きでありながら平凡な家庭に生まれる。16歳で当時在学していた演劇学校を退学処分となり、それから音楽の道へ。2003年アルバム『フランク』でデビューすると、一気にヒット。ソウルフルなサウンドと、ハスキーで気だるい歌声が人気となりスター街道を走り始める。
しかし、同時に薬物やアルコールに依存していき、体を蝕まれて施設への入退院を繰り返すように。泥酔してライブに登場したり、歌を途中で中断させるなど痛々しい姿を晒すことも。元々はグラマラスな体型で、太いアイラインをアイコンとした華やかな印象が強かったエイミーが、徐々にやせ細って覇気を失っていく姿に心を痛めていたファンは少なくない。
同じく、恋愛関係でもスキャンダラスだった彼女。それでもなんとか歌声聴きたいと世界から切望されていたが、2011年、27歳で帰らぬ人に…。ジミ・ヘンドリクスやジャニス・ジョプリン、カート・コバーンらと同じ27クラブ(27歳で亡くなった伝説的アーティストの総称)に名を刻む結果となった。
9月15日
トミー・リー・ジョーンズ
1946年生まれ。俳優。親日家としても知られることから、日本ではサントリー缶コーヒーBOSSレインボーマウンテンのCM「宇宙人ジョーンズの地球調査シリーズ」で、お茶の間でも人気者。1993年公開映画『逃亡者』や『メン・イン・ブラック』シリーズで、今でこそ大物俳優としてその名を轟かせているが、彼の成功までの道のりは険しかった模様。
貧しい家庭に生まれた彼は、高校卒業後に家計を助けるために、父の働く油田会社に就職。同時に勉強に励み、1年後には奨学金を獲得しハーバード大学へ進学。大学卒業後に、ブロードウェイに憧れマンハッタンへ。皿洗いのアルバイトをしながら、オーディションを受ける日々だった。1970年、映画『ある愛の詩』でデビュー。映画はヒットしたが、その後仕事が途絶え、当時の妻でジャーナリストのケイト・ラードナーと二人三脚で生活する日々。そして1980年代は脇役として活躍。
一発逆転のチャンスを与えたのは、1993年の映画『逃亡者』。アカデミー賞助演男優賞を受賞したことで主演作品が増え、大物俳優へと歩みを進めることに。年齢を重ねるごとに味わいの増すトミー・リー・ジョーンズ。説得力のあるハードな表情は、そんな下積み時代から培われたものなのかも!