日本人の父とフィリピン人の母の間に生まれた香川沙耶さん。現在は日本でモデルとして活躍していますが、幼少期はフィリピンで過ごし、母国語はタガログ語であるなど、知られざる一面も。そんな沙耶さんのルーツに迫るインタビューをお届けします!
――沙耶さんが生まれた場所はどこですか?
東京です。日本人のお父さんとフィリピン人のお母さんの間に生まれて、その後フィリピンに引っ越しました。
――フィリピンでの幼少期はどんな生活を送っていましたか?
小学校では成績が良くて、いつもメダルをもらっていました! すごく活発な子で、裸足になって外で遊んでいたぐらい(笑)チャイニーズガーターっていう、日本のゴム跳びのような遊びが好きだったな〜。あと、お友達づくりは昔から得意だったみたいです!
――日本には何歳の時に戻ってきたのでしょうか?
私が10歳の時です! 妹ができた頃に日本に戻ってきました。犬のファウンちゃんと猫とムギちゃんの6人家族。今も家族と一緒に住んでいますよ。
――母国語はタガログ語だという沙耶さんですが、日本に戻ってきた時に言葉に不自由はありませんでしたか?
日本語はフィリピンから戻ってきてから覚え始めたので、最初は本当に大変でした。でも、会話ができない分、人の仕草や表情、表面的な言葉ではわからない部分にとても敏感になって、察する力が身に付きましたね。そこから自分の気持ちを伝えたい! という思いがどんどん大きくなって、言葉が追いつくようになっていった気がします。人ってそういう状況の中で、新しい言葉を覚えていくんだなって感じました。
――本当に自然な日本語をお話しになるので、そんな努力をされていたなんて全く思いませんでした! タガログ語と日本語以外にお話しになる言語はありますか?
英語を日常会話程度。あとタガログ語は単語がスペイン語とよく似ているので、スペイン語も単語程度ならわかりますよ(笑)
――日本の新しい環境に適応することは難しくなかったですか? 正直、フィリピンに帰りたいと思ったことはありましたか?
んー、帰りたいと思ったことはなかったかな。もちろん最初は大変でしたよ。けど、日本とフィリピンの違いを楽しめてもいたので、新しい世界に飛び込んでいくぞっ!って気持ちでやっていたら、いつの間にか馴染んでいましたね。小学校を卒業して、中学と高校も日本の学校に通って、18歳の時にスカウトされてモデルを始めたんです。もし、今モデルをやってなかったら、保育士さんになるか、心理学を勉強してみたかったですね。
――日本とフィリピン、沙耶さんにとっての故郷はどちらですか?
どちらも故郷だって思っています。どちらの国にも家族や親戚がいるし。それに、沙耶の中には日本とフィリピン両方の血が流れていますからね!