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伝説になったモード界の偉人たちも、困難な状況に直面して自信をなくしたこともあったはず。ファッションの歴史を創りあげてきた彼らの成功の鍵は「信念の強さ」にあるのかもしれません。そこで、偉人たちの信条が伝わってくる、「名言」をご紹介。自分が辛い時にも参考にしたくなるはず。
ヘレン・ガーリー=ブラウン
「もっと良い人生になれば…なんて、祈っているだけではダメ。自分で掴みにいかなくちゃ!」
女性は家庭に入るべき、という価値観が一般的だった1960年代のアメリカで、「女性はキャリアもセックスライフも充実させるべき!」を信念に『コスモポリタン』で32年間雑誌を作り続けてきたヘレン・ガーリー=ブラウン。家事についての内容が多かった当時のコスモに、恋愛、仕事、成功、お金などの記事を充実させました。
雑誌を通して社会に影響を与えたと言われている彼女だけど、はじめから恵まれた環境で育ったわけではないよう。絶えず努力し続け、「女性が自立して大胆に人生を楽しめる」ことを実感したヘレン・ガーリー=ブラウンだからこそ、口にした一言かもしれません!
クリスチャン ディオール
「情熱はすべての美の鍵です。情熱なしで魅力的な美など存在しません」
よく笑う、陽気な楽天家だったと言われるクリスチャン・ディオール。両親の希望で「パリ政治学院」で勉強したものの、芸術への興味からはじめは画廊で働いていたそう。その後は、縁あってファッションの世界に入り42歳でクチュリエに。
戦後の女性たちに「軽やかな心」や「女性としての魅力を楽しむ気持ち」をもたらしたいという情熱で熱心に働き、1947年に開かれた初のコレクションでは、元『ハーパース バザー』誌編集長カーメル・スノーに「クリスチャン、あなたのドレスはニュールックだわ!」と驚嘆させたのは有名な話。彼のように、自分がしていることに熱い思いを込めると、驚くような結果が出せるかもしれません!
ダイアナ・ヴリーランド
「良い人生は1つだけ。自分で望み、自分で創る」
独創的な視点と大胆さで、20世紀のファッションを創りあげた伝説のファッション・エディター。そんなダイアナ・ヴリーランドがはじめて雑誌の編集者になったのは、30代前半のこと。ロンドンで新婚生活を送り、ランジェリー・ショップを営んでいた彼女が、NYの高級ホテルで当時の『ハーパース バザー』の編集長にファッションスタイルを評価されたのがきっかけなのだとか。
編集部で働き始めてからは、ツィギー、ミック・ジャガー、写真家のリチャード・アヴェドンなどの才能を早くから見出し、モデルのヌードを女性誌で初めて掲載するなど、常に革新的な仕事をしてきた彼女。「世界がまだ見たことがなく、欲しているもの」がはっきり見えていたことが成功の秘訣のよう。
ソフィア・ローレン
「美は内面的にどう感じるかであって、それは目に反映されるわ。身体的なものではありません」
「イタリアの宝石」と呼ばれた大女優のソフィア・ローレン。ナポリの貧困地区で育ち、ハリウッドにも進出、その官能的な体型から世界中でセックス・シンボル的存在になりました。年齢を重ねてもそのゴージャスさは輝きを増し、72歳の頃に「ナポリのサッカーチームが勝利したら、ストリップショーをするわ」と公言したり、81歳の誕生日の翌日に「Dolce&Gabbana」から、「インスピレーションの源でいつづけてくれていること」に感謝の気持ちを込めて、彼女自身の名前を冠した口紅が発売されるなど、現在も伝説を残しています。永遠に「女性であることをたのしんでいる」からこそ、タイムレスな美しさとして外側に表れているのかもしれません。
ダイアン・フォン・ファステンバーグ
「自分自身と親友になれば、人生はもっと楽になる」
世界中の女性から愛される「ラップドレス」を創作し、ドレス同様に女性のパワーと自立の象徴的存在となったダイアン・フォン・ファステンバーグ。ジュネーブ大学在学時にイーゴン・フォン・ファスティンバーグ公爵と出会って結婚するものの、プリンセスの立場に甘んじず"自分自身"を確立するために、NYでブランドを設立。
アウシュビッツ収容所から生還した母の教えから、不安よりもリスクを選ぶ生き方をしてきたそう。そんな行動力の溢れる彼女だけど、ファッションから一時期離れて自分に自信が持てずにいた時期もあったんだとか。それがきっかけで、ファッションが「自分自身の一部」と身をもって学び、復活! さらに活動の幅を広げ、今は発展途上国の女性の地位向上のNGO団体「Vital Voices」での活動などにも取り組んいるそう。
まさに、絶頂期から困難な時期まで、自分自身と向き合った彼女だからこそ言える名言!
エルザ・スキャパレリ
「つらいときほど、ファッションは大胆に!」
1930~1940年代のパリで活躍した、モード界のシュールレアリストとして知られるエルザ・スキャパレリ。ローマに生まれ、ロンドンで結婚、アメリカに渡るも夫と離婚した後に芸術家の友達たちを追ってパリへ単身渡仏。そして、パリでポール・ポワレに才能を見出され、のちに自身のブランドを手掛けるように。サルバトール・ダリなどの芸術家と交流し、ハイヒールを頭に乗せたような帽子「シューハット」など、独創的でアヴァンギャルドなファッションを次々と生み出した彼女。さらに、戦争の頃には、ドイツのスパイをしていたとも言われ、FBIに監視されていたんだとか…。
戦争という混乱の時代にスキャンダラスに生きてきたエルザ・スキャパレリ。そんな彼女が創作した、大胆なデザインの服は今見てもパワーが湧いてきます!
ココ・シャネル
「女は30代でゴージャスに、40代でチャーミングに、そして残りの人生で圧倒的に魅力的な女になるの」
孤児院や修道院で育ち、ファッション界の女帝にまでのぼりつめたココ・シャネル。
リトル・ブラックドレス、香水の「シャネルN˚5」など30代で偉業を達成し、恋愛においてはウエストミンスター公からプロポーズを受けたのも40歳を超えてからだったそう。さらに、57歳のときに年下でハンサムなドイツのスパイ、 バロン・グインター・フォン・ディンクレーゲ男爵と交際していたと言われているシャネル。戦争中もパリの高級ホテル「リッツ」に住めたのは、彼が手配したからだそう。「年齢」にとらわれず、日々進化し続けたからこそプライベートでも仕事でも多くの逸話が生まれたのかも。