古代エジプト時代から、ヨーロッパ、中国、日本…。歴史に「美女」として名を残してきた8人。
【INDEX】
- ネフェルティティ
- クレオパトラ7世
- 楊貴妃
- 小野小町
- エリザベス1世
- マリー・アントワネット
- ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ
- エリザベート
今回振り返るのは、紀元前1500年頃のネフェルティティから19世紀のエリザベートまで8人が愛したと言われる美容法。最古の美容法として紹介するのは約3500年以上も前のものになるけれど、意外にもこの長い歴史の中で共通して求められてきたものがあるのだとか。
今回お話を伺った、日美学園 日本美容専門学校で総合美容科部長を務め、教鞭をとる佐藤美加子さんによれば、それは肌の"白さ"なのだそう。
「全員に共通しているのが"白さ"。白は高貴で、壊れやすい対象であること、また労働者とは違い室内で暮らしているという位の高さの象徴でした」
現代にも根付く美白ブームの概念があることに驚かされるものの、各時代の文化や社会の影響を受け「美容」の考え方は大きく変化し、その最先端を実践しながら生きたのが美女として名を馳せた彼女たち。その当時の美しさを作り上げた美容法を、まずはネフェルティティから振り返ってみよう!
※紹介している美容法は文献に基づいたものですが、あくまで当時の美容法です。また、歴史上の人物とはいえ謎も多く、存在についても諸説あります。
ネフェルティティ【紀元前・在位1350~1336年頃】(エジプト)
ツタンカーメンの義母、第18王朝の王妃のネフェルティティ。写真の美しい胸像が残されており、フランスの考古学者ガストン・マスペロによれば「最も美しい顔」として有名。また、細く長い首が特徴とされた。
「エジプトの美容は目がすべてでした。紀元前の時代の古い土地では、太陽光線やホコリ、砂漠地帯、虫など衛生面が良かったわけではありません。体の穴(目や口など)から、病気や虫、紫外線、それに悪魔などが入ってこないように、目の縁を黒くしたり、口を赤くしたりしたと言われています。アイメイクが濃いのは、様々な外的要因からから自分を守るため、また王女であり位が高いことから、庶民と差別するためにもデフォルメされたメイクをしているのです。この時代、失明することは死を意味しました。そのため『美容』は、美しさの追求というよりは、健康や宗教のために始まったと考えられます」
▼美容法
当時たくさん採れたと言われる植物を使用したのが、古代美容のはじまり。ミイラを腐らせないためにミルラ(没薬)などを使用していた。
【パック】
ローズマリーのはちみつ、グリセリン、ローズマリー精油、オリーブオイル、米粉(各大さじ1程度)を混ぜたものを塗布し、放置した後、牛乳で拭き取る。
【首のローション】
キュウリ1本の絞り汁と紅茶の茶葉4つまみを煮出して、冷やしたものを自慢の首に使用していた。
※パック、ローションともに、同時代の女性が常用していたとされるもの
クレオパトラ7世【紀元前・在位51~30年頃】(エジプト)
エジプト最後の女王。絶世の美女として知られているのはこのクレオパトラ7世。1963年公開の映画『クレオパトラ』では、ハリウットでも絶世の美女と呼ばれたエリザベス・テイラーが演じている。
ただ実は、クレオパトラは見た目の美しさよりも、その人間的な魅力に多くの人が惹かれたとされているそう。シーザーは、「美しいというよりは、魅力があって、強い性格をもって」と形容し、夫のアントニウスも「美人というよりは、教養が高く恐れを知らない。活発な策略家。相手を逃がさない魅力がある」などと表現していた。
「クレオパトラは、顔が美しいと言われていたわけではなく、性格、声、会話力、語学力が秀でたことで人を惹きつけたと言われています(9カ国語話せたという説も)。最後の女王であり、国を守るため、その頭の良さや才能で人を惹きつけたと言われています。映画などでも、バラを60センチ積み上げた中から現れたり、香水を体中に纏い絨毯から登場するなど自分の演出がうまく、サプライズを仕掛ける策略家だったようです」
▼美容法
今でも美容法として愛される金やはちみつ、バラの香油、またトレンドの"炭酸"も使われていた。
【金】
金を使用したツタンカーメン黄金のマスクが発見される。権力や永遠の美しさの象徴、防腐。
【牛乳(ロバ)風呂】
1人が入るために500頭のロバを用意したと言われている。
【炭酸水浴】
湖から湧き出た天然炭酸で朝夜2回ずつの全身水浴(ピーリングや血行促進を促した)。
楊貴妃【719~756年頃】(中国)
音楽、舞踏に秀でていたと言われる、中国唐時代、玄宗皇帝の寵妃。皇帝が寵愛しすぎたために安史の乱を引き起こしたとも言われ「傾国の美女」とも呼ばれている。その特徴は、白い肌と豊満な体だったとされ、キレ長の目、下膨れな顔は、日本での美人基準と似ている。
「当時の詩人、白楽天の残した『長恨歌』には『後宮3000人の美女も色あせる…豊かな髪、花のような顔…』と表現され、大奥に3000人いる中でも秀でた美しさだったようです」
▼美容法
【漢方】
ライチ:楊貴妃が愛したで有名な果物。ビタミンB、C、ポリフェノール(王参加、しみ、たるみ、美白)が含まれる
ツバメの素:シアル酸(糖の一種、細胞伝達作用、抗酸化)、コラーゲン、ローラルゼリームチン
また、白きくらげ(コラーゲン)、手羽先の醤油煮込み(アミノ酸)、ロバ肉(コラーゲン)、クコの実(ビタミンC、アミノ酸)などもよく食べられていたよう。
小野小町【800年頃/9世紀】(日本)
平安時代の女流作家で、日本では三大美女に数えられる小野小町。長い黒髪と白い肌だったと言われているものの、実在したかどうかも不明とされている。
「クレオパトラと通じますが、小野小町も美人と言うよりは、その才能や頭の良さや話し方、情熱的な優れた歌から魅力的と言われたキャリア・ウーマンです。昔は歌のうまさやその人特有の香りで想いを伝え、男性を魅了。男性は昼ではなく夜(夜這い)に訪れていた時代でもあり、女性は扇子で顔を隠し、黒く長髪でシルエットも大事にされていたことからも、その実際の美しさは不明です。ただ、水や自然が豊富な日本らしく、温泉や薬湯など、水の特徴を理解し美容に使われていたと文献に残されています」
▼美容法
現代の日本にも通じる美容法が、この時代から愛されていたとされる。
【美白】
はちみつ(栄養)、酢(アミノ酸)、酒(発酵食品)、卵殻膜(アミノ酸)などを使用(永安時代の医学書「医心方」より)
【温泉】
雨水や厳冬の雪解け水:軟水で化粧水や、粉を溶くのに使用
温泉・薬油:温泉(ミネラルが豊富)。5月/菖蒲湯(血行)、8月/桃の葉湯(殺菌、炎症)、12月/柚子湯(あかぎれ、ひび)など、日本独自の四季に合わせて薬湯に
【化粧品に米ぬかや小豆粉】
米ぬか化粧水、石鹸:ビタミンB群、E、アミノ酸(保湿、美白、炎症)
小豆化粧料:タンパク質、カルシウム、ビタミン(洗浄、保湿)
※写真はイメージです
エリザベス1世【1533~1603年/16世紀】(イギリス)
英国王ヘンリー8世と2番目の妻、アン・ブーリンの間に生まれたエリザベス。やがて英国女王となるその姿を描いた、映画『エリザベス』と続編の『エリザベス:ゴールデン・エイジ』でのケイト・ブランシェット演じる病的な白いメイクに驚いた人も多いのでは?
「中世ヨーロッパ、キリスト教の教義に基いた社会観が支配的になり、文化が発展せず停滞した暗黒時代。その後、文化を再びよみがえらせるべくルネサンスが興るも、キリスト教による支配は大きく、女性は罪深い存在とされ質素に、メイクも白く地味にしていました。メイクは、表情を出さないよう、鉛を溶かしたものを肌に厚く塗り白く、額を剃りあげ"病的に見せること"で、美しさを表しました。静脈の線を書き足し、目の下を赤く塗り、クマを作り、室内にいるという位の高さや流行の病弱さを演出しながらも、女王という立場としては、仮面のような厚いメイクが表情を隠し、内外に立ち向かう際には武器のように捉えられていたように思います。
また、仕事をしていないことを表す、手の美しさが自慢。権威の象徴は、大きなドレスで表されました。また80個ものブロンドのかつらを所有していたと言われています」
▼美容法
中世ルネッサンス期は、能力を魔女狩りや魔術が信じられた時代。いいか悪いか、ではなく、神秘的なものが体にいいと極端に信じられた時代でもあった。
【植物学と糞尿趣味と魔術の混合】
脱毛剤:猫の乾燥した糞に酢を足したもの(アレクサンドロ・ピッコロ「若き婦人への助言」より)
美白:男子の乳母の乳に、ツバメを羽ごと入れ蒸留し使う(カテリーナ・スフォルツァ「グリ・エクスペリメンティ」より)
マリー・アントワネット【1755~1793年/18世紀】(フランス)
「パンがないならケーキを食べればいいじゃない」の発言で知られるマリー・アントワネット(彼女の発言ではないとされる説も)。オーストリアからルイ16世の王妃として嫁ぎ、ソフィア・コッポラの映画で映画で描かれたような、華やかで裕福な暮らし送っていたが、王政に対する民衆の不満が爆発しフランス革命に。後に処刑された。
それまでの暗黒時代の習わしと並行しながらも、メイクではそれまで常とされた青白さではなく、オーストリアの習慣を愛したマリー・アントワネット。
「19世紀まで続く、鉱物から取れた鉛をすりつぶした溶かしたものをメイクで使うのが主流でした。実は、この鉛、体や肌をボロボロにし、匂いの原因(お風呂にも入らない時代)にもなるもので、香水の発達へと繋がりました。
ただ、マリー・アントワネットはオーストリアからの美容法を引き継ぎ、周りが能面のような白さを好む中でも、自然な透明感があるメイクを施したと言われています。また、香りも柑橘系など植物の自然なもの好みました。
ほかに特徴的だったのは、とにかくウエストの細さにこだわったこと。肋骨を2本折りコルセットで締め上げ、食事でもダイエットを心掛けました。男性が片手で持てる細いウエスト(バスト90 ウエスト49 ヒップ90)を維持したと言われています」
▼美容法
エリザベス1世の時代の流れを引き継ぎ、青白さが一般的。
【ダイエット(細いウエスト)】
骨を極端な変形をさせ、大腸が歪み、便秘や不妊、流産、炎症で亡くなる人も。マリーの食事は「朝:ケーキ 昼:魚など 夜:軽いスープ」程度だったそう。
【かつら(小麦粉で白く)】
髪、かつらにポマードを付け、白くするために小麦粉を1日2回たっぷり掛けた。小麦粉が値上がりするほどに流行。
【メイク】
静脈をなぞるメイク、匂い消しにオーデコロンが重宝された。青白さを引き立てるためにつけボクロも使われた。
ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ【1763~1814年/18世紀】(フランス)
フランスの皇帝ナポレオンの最初の妻。貴族の娘で、エキゾチックな美貌の持ち主だったと言われている。
「ナポレオンは、彼女の白い肌をとても気に入っていたそうです。また、この頃に入浴が復活し自然で清潔な美しさも徐々に取り入れられました。ただ、このような偉い人でも、当時の文書では『足は1週間ごと、髪は2カ月ごと、歯は週に1回は…』(「礼儀作法新論」「美容の作法」より)と書かれており、まだ匂いはキツかったようです。オーデコロンが愛され、特にナポレオンは、首や肩にも振りかけ毎月60本を空にしていたそう」
▼美容法
【首のケア】
自身の自慢だった首のケアに、「首とフェイスラインのオイル」としてオリーブ油、ごま油、ベラドンナ、ポピー、レッドクローバーを使用(当時の美容書より)
【美白パック】
夜のパックにバルサム(含油樹脂/角質をとる)、美容液としてカカオ油とわさび油(美白、しわ、そばかす)を使用
エリザベート【1837~1898年/19世紀】(オーストリア)
オーストリア・ハンガリー皇帝(兼国王)の皇后。「絶世の美女」と呼ばれ、愛称のシシィとしても知られている。19世紀ということもあり、現代に似た美容法を多く実践していたと言われている。
「朝から夜までダイエットをしている人でした。朝起きたら体操し、早足で歩く、鉄棒やつり輪を自室に置いていたと言われています。古代エジプトでも実践していた冷水浴をするなど、意識も高く美容に気を遣っていたそう。
その反面、多品目を食べずに果物と牛乳だけ摂るなど、極端なダイエットも行っていました。172センチでウエストは50センチと細く、栄養不良が続きウツや精神的にも悪影響を受けた人とも言われています」
▼美容法
【美髪シャンプー】
自慢の髪の手入れにと、ブランデー(コニャック)や卵を混ぜたシャンプー
【オリーブ油風呂】
熱いオリーブ油(時には熱湯に近いくらいの)い浸かっていた。通常の入浴時には、牛乳の搾りかすとはちみつ、オレンジを入れていた。
【仔牛の生肉パック】
仔牛の生肉を薄くきったものを、パックとして使用。冷たさで収れんするなど、当時のヨーロッパでは流行
死と引き換えになるような鉛のメイクをしたり、魔術的な美容法を試したりと、正しいか分からないながらも、時代の最先端の美容法を実践してきたこの8人。その反面、古代エジプト時代からは金や炭酸美容、小野小町の発酵食品など、今にも続く多くの方法が残されていることにも驚かされる。
国の特徴や時代の文化、社会情勢が反映されることで、美の基準は変わるものの、その「美」を追求するためにチャレンジしてきた彼女たちは、まさに「Fun Fearless Female(楽しく、恐れを知らない女性)」。少しでもインスパイアされたら、新しい美容法やメイクにもどんどん挑戦してみて!
【参考文献】
「美容の歴史」ジャック・パンセ、イヴァンヌ・デランドル
「美女の歴史」ドミニク・パケ
「化粧ものがたり」高橋雅夫
「ヘアスタイルと美容師の歴史」ポール・ジェルボ
「美しさへの挑戦」ポーラ文化研究所
「化粧」久下司
「顔の文化誌」村澤博人
「クレオパトラ」エディット・フラマリオン
「皇妃エリザベート」カトリーヌ・クレマン
「身体のエスティック」池澤康郎
「清潔の歴史」ヴァージニア・スミス
「美容と西欧社会との関わり」日美・美容文化史研究グループ